>>8 薩摩だけで維新が行われたとか、ありえない。まあ、教科書を読めばわかることだけど。
倒幕の原動力(ある時は策源地、ある時は推進力)はあくまで長州。薩摩は補完勢力。
しかし、倒幕ぎりぎりの段階まで、薩摩は表面上幕府と良好な関係を保っていたので、
蛤御門の変以降も自由に京都で政治活動ができた。
そのおかげで、倒幕運動の締めくくりともいうべき王政復古のクーデターは、
薩摩(西郷、大久保)岩倉ラインで遂行された(この時点で高杉はすでにこの世にいないが)。
もちろん、その後の新政府対旧幕府勢力の戦争(いわゆる戊辰戦争)における政府側の主力は
薩長軍。幕末維新のどの段階を見ても、薩摩藩だけで倒幕、維新が行われたという可能性は
限りなくゼロに近い。
教科書に少し付け足しをすると。そもそも、長州藩は高杉の挙兵によって対幕府融和派が一掃された。
それ以後、挙国一致で倒幕の準備がすすめられた。それは、長州藩には高杉の兄貴分に木戸がおり、
木戸も高杉も藩主の信任が厚く、彼らを中心に藩の舵取りがなされたからで。
一方薩摩は、藩の最高実力者である島津久光は終始倒幕に消極的。
久光がそうである以上、西郷や大久保が勝手に藩政を左右することは出来ない。
また、西郷は久光から憎まれ、同輩中にも西郷、大久保にくみしない勢力が少なからずおり、
もし、長州藩の活動および長州からの働きかけがなかったら、薩摩藩が単独で倒幕に
踏み切るなど、およそ考えられない。
>>11 また君か。病院まだ行ってないのか?
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