近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ


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094 2026/01/23(金) 02:52:29 ID:zetRnKPRD6
「廃藩置県」独立した軍事・経済利権を持つ藩(軍閥)」を解体し、中央政府による「法と経済の統治」に一本化 の他国事例

ルイ14世が貴族をベルサイユ宮殿に集めて政治的実権を奪い(藩を無力化)し「ナポレオン法典」と「中央集権的な行政区画」で国家を統一
ナポレオンに征服されることで他の欧州諸国の多くはなかば強制的に廃藩置県(近代化)を注入された。ナポレオンが去った後の旧勢力(王侯貴族)は一度は復活しましたが、国民が知ってしまった「近代的な自由や合理的な行政」を完全に消し去ることはできず、結局は近代国家へと進んだ。

ドイツは1871年のビスマルクによる「プロイセン主導のドイツ統一」バイエルンやザクセンといった「藩(王国)」は存続させつつも、軍事指揮権や外交権をベルリンの中央政府に集約し「プロイセンという藩」の軍事力を「ドイツという国家」のエネルギーへ転換しました。

イタリアは 1861年の「イタリア王国成立と県制導入」。サルデーニャ王国が他の小国(藩)を次々と併合。統一後、地方ごとに強かった封建的な軍事貴族や地方勢力を抑え、フランス式の「県(Provincia)」と「知事(Prefetto)」を派遣して中央集権化しました。 しかし、南部などの地方勢力(マフィアの萌芽)が「藩」の意識を捨てきれず、完全なパラダイムシフトには長い時間がかかりました。

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