【サムライ】 日本の武具  【武士】


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001 2010/02/05(金) 01:33:28 ID:JyfGYRStGY
日本刀・大太刀・薙刀・槍・大槌・鉞・鎖鎌、
大鎧・腹巻・当世具足。
矢でも鉄砲でも日本の武具ならなんでも

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002 2010/02/05(金) 01:36:05 ID:JyfGYRStGY
003 2010/02/05(金) 09:11:36 ID:W8wBiu8y8M
てつはう

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004 2010/02/05(金) 11:00:29 ID:h2tVWrrDJE
005 2010/02/05(金) 11:02:55 ID:Cffs9Y5kp.
良く日本刀の優秀さは聞くが槍や弓はどうなんだろね
戦のときには刀じゃなく槍だもんね。

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006 2010/02/05(金) 14:16:49 ID:bqwjrOYSVM
[YouTubeで再生]
>>荒巻丈
ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー

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007 2010/02/05(金) 15:07:38 ID:xm7G.zfwCw
>>5
これもよく言われるが、素材の固さと長さ、重さ次第

天秤棒なんかに使われたオーク材(樫の木)が最強だと思うが、
あんなくそ重たいもん振り回してたら1時間しないうちにバテて
戦闘不能になるだろう
かといって、軽くてとりまわしの平易なシダー材(杉の木)みたい
なのはすぐ割れたり折れたりでどーにもならん
アッシュ材(アオダモ、まぁバットだな)なんかが現代の槍術では
よく使われてるんだそうだ

当時は・・・知らんwww

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008 2010/02/05(金) 16:55:47 ID:ZL7hL3mf86
>>6
なんだよ、その動画の下に見えてる不快な記号は。

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009 2010/02/05(金) 18:57:53 ID:bqwjrOYSVM
[YouTubeで再生]
>>8
パート2
わからん、偶々みつけたヤツ

韓国人に見せる為なら韓国語の題名つけるし

うp主の意図がわからん。

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010 2010/02/05(金) 19:43:09 ID:BFc3mBBkus
>>7
日本で古来から槍の柄に最も適するとされるのはイチイガシ
軽く弾力に富み、特に軽量のものはアラメと呼ばれ珍重された。

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011 2010/02/06(土) 01:33:58 ID:ich6AClt0g
しかし何故、日本では靴が進化しなかったのかな
戦記絵巻とか見ると立派な鎧着てるのに、裸足とか多くないか?
よくて草履


なんかアンバランスなんだよね

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012 2010/02/06(土) 03:39:46 ID:a9553d219o
合成樹脂がない中世日本では
素足に土踏まずまでのわらじってのが
一番踏破性が高かったんだろう

水虫になりたくないだけってのもあるだろうけど

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013 2010/02/07(日) 16:50:26 ID:94EQ.OYfcs
014 2010/02/08(月) 15:34:40 ID:w1gje4fY4w
陣羽織

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015 2010/02/09(火) 15:26:00 ID:5C5e.GHsYs
通信用具

背負陣太鼓

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016 2010/02/09(火) 15:32:55 ID:5C5e.GHsYs
群馬県金山城出土 銃弾

大筒用は鉄製、鉄砲用は銅製と鉛製

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017 2010/02/09(火) 16:01:28 ID:5C5e.GHsYs
武田信玄の軍資金

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018 2010/02/10(水) 03:16:46 ID:RXjsDZsHNg
?な刀

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019 2010/02/10(水) 13:13:27 ID:9kWWJ7hoz6
関船(戦闘艦)と小早(伝令・偵察艇)

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020 2010/02/11(木) 01:36:26 ID:eu2V/mRhTw
日本刀の強度

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021 2010/02/12(金) 02:54:33 ID:oSvSGx.9fg
>>11
実際は沓も色々あったけど
サイズを合わせるのがめんどくさいとか
まあ今も個人差があるわけだし
なんて事もあったりしてね

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022 2010/02/12(金) 16:57:06 ID:P0t3TZ/NXg
「わらじ」ってのは、身軽で滑らず、足にフィットするから動き易い。
現代の「地下足袋」に当たる。
戦場を走り回る白兵戦が主なんだから、当然と言えば当然。
製造も靴のように手間がかからないし、材料もふんだんにある。

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023 2010/02/12(金) 17:46:05 ID:JM3GgG5wa.
馬用わらじ

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024 2010/02/12(金) 17:57:03 ID:JM3GgG5wa.
025 2010/02/12(金) 18:08:45 ID:JM3GgG5wa.
よろいどおし(鎧通)
無銘だけどたぶん土佐吉光作。
ただ刺すのではなく、刺してねじり短時間で目的を達しようとする殺傷武器。
鎧の胴を容易に貫通する。

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026 2010/02/12(金) 22:43:12 ID:yyhHtHPMm2
>>22
とはいえ、なんで裸足が多いのよ

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027 2010/02/12(金) 23:14:06 ID:E0puacRYPc
差物、馬用の柄杓など。

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028 2010/02/12(金) 23:16:32 ID:E0puacRYPc
うえのは空穂、その下のは何?

http://photofile.name/users/doubleclouder/96187849...

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029 2010/02/12(金) 23:25:57 ID:E0puacRYPc
大小。天正拵と思われ。

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030 2010/02/12(金) 23:48:54 ID:5wkQBwQc1M
>>26
移動途中に田んぼや河川が多いから、クローズ系のシューズだと水入ったりして滑
るとか不快だから?
適当に言ってみた

バスタオルの古いやつをひっ裂いて、1回だけ見たチューブ動画のように作ってみ
たら俺でも布草履が出来たくらいだし、作り方は簡単だ

あと、履いてみて初めて気づいたんだが、あれ足ツボの効果あるね
それが戦場の草履と何か関係あんのかっていうと、ないんだけどさ

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031 2010/02/13(土) 19:36:32 ID:TXvOzMj99k
日本ではかなり長い間裸足がデフォだったしね

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032 2010/02/16(火) 16:48:24 ID:ZwMlM8MRRs
[YouTubeで再生]
コメント不能な面白動画

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033 2010/02/18(木) 08:29:52 ID:.lDp3ofzDY
下半身の躍動感が半端ない

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034 2010/02/18(木) 15:53:56 ID:gRc3maoBz.
刀の金具とか小さい所に凝りだしたのは江戸時代から?

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035 2010/02/18(木) 21:55:27 ID:FbkVDje1BA
>>34
原哲夫の傾奇者連載あたりからだと思うよ

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036 2010/02/19(金) 15:12:39 ID:WxqMjfL57o
凝るのレベルがわからんが
ピークは江戸だけど
鎌倉時代でも平安でも凝ってる

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037 2010/02/20(土) 09:56:47 ID:u6tswh1QKc
>>24は闘犬用?
それとも軍事用?

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038 2010/02/21(日) 00:44:35 ID:Ag4NKdQNFE
>>35
原哲夫って、あの「誰がカバやねん!」の原哲か?

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039 2010/02/21(日) 12:27:05 ID:U6fI2AFcCY
>>33
それはどうかなあ。鎌倉時代の騎馬武者と思える骨調べると、上半身が著しく発達しているわりには下半身は華奢だったらしいよ。

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040 2010/02/21(日) 12:29:29 ID:U6fI2AFcCY
>>37
軍事用じゃないかなあ。お犬様の頃の。

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041 2010/02/24(水) 07:57:27 ID:G6gpjIi1wM
下半身が華奢ってことはそれだけ
運動性が高いってことじゃないのか
マイケルジョーダンが身長体重に比べ極端に下腿が細いのと同じで

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042 2010/02/25(木) 01:16:46 ID:HK6UILnHzA
揮刀如阳

倭奴刀を揮ふこと阳の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。
故に短兵相接するは乃ち倭奴の長ずる所、
中国の民の敵し難き所なり。
その嫌う所の物は火器のみ。
然るに多くの鳥銃手を擁して居ながら我兵勝てぬのは外でもない。
倭人は戦いに臨んで命を忘れるが、
我兵はこれを臨んで即ち恐れ走るため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、
手震え、目眩み、天を仰いで空しく発する為なり。

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043 2010/03/01(月) 09:34:11 ID:pQkQkPBWWA
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン

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044 2010/03/01(月) 19:01:58 ID:OUkqwhqpdc
そら100年近く戦乱状態で生きてた民族だからな…
今のアフガニスタンやらそんな感じのイメージだがな。

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045 2010/03/02(火) 10:18:56 ID:boTX5VyYyk
源平合戦、元寇、南北朝、応仁の乱、戦国時代…

こう考えると100年じゃ足りない

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046 2010/03/07(日) 21:41:06 ID:vpdtGuR4F2
ポルトガルは和冦のマネして海賊やってたんだよ。そっちのがもうかった。

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047 2010/03/10(水) 10:23:34 ID:g2S.eW4h4s
姜弘重『東槎録』1624年
「新将軍の邸宅から城内を一巡して、東に行くこと幾十里あまり、
(朝鮮の一里は日本の十分の一)内城の周囲もまた五里は下らなかった。
築城の石は皆大石をもってし、その勢いに従って積み上げ面を削っているのが神業のように巧妙であった。
内に高楼傑閣が起ち、将軍はその中にいる。
別に五層の飛ぶような楼閣が中央に起ち見張りをして守備をするところで、天守台といった。
金色の甍と白い壁が堀の水に影を落とし、光彩が人を照らして心魂を眩乱する。
(大名)各家で兵を養い、兵器が便利で精巧であり、軍糧が山積みされ、戦艦が海に満ち、
常に臨陣対塁の心構えができている。
だから兵を動員しようとすれば命令に従って直ちに出動できる」

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048 2010/03/11(木) 10:43:32 ID:cl1C6R.BpI
049 2010/03/11(木) 15:18:25 ID:uKjpIdlB6o
古刀のやり、いいね。

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050 2010/03/11(木) 16:28:40 ID:cl1C6R.BpI
051 2010/03/12(金) 16:33:41 ID:KxnU0A.Tpk
これはいい鎧

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052 2010/03/13(土) 17:25:50 ID:zLLiQQBDuk
靖国神社にある芝辻砲

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053 2010/03/14(日) 15:20:33 ID:n7bIW82apc
色を派手にしたらデザインはシンプルに

このあたりの「やりすぎない」感じが素敵だ

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