遣唐使より遣日使の方が多かった


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001 2018/02/06(火) 03:01:05 ID:xXjAwBbX3A
これまで飛鳥、奈良時代というと「遣唐使」の時代と言われてきた。唐から大陸の文化を学び、日本の「古代」の文化と政治をつくりだした、というのがお決まりの歴史である。
日本人は常に学ぶ方で、大陸の人々は常に教える方であり、日本にやってくる人々は、戦争や政争で仕方なく逃げてきた人々に過ぎない、と考えられているようなのだ。

世界で最初の博物館といえる奈良の正倉院には、多くの唐からきた文物があるが、その大部分は遣唐使がもたらしたものではなく、
唐の人々が持ってきたものであることは知られている。
天智天皇の時代には唐から毎年のように、唐人がやって来た。669年には千余人、671年には二千人の人々が船47隻に乗って遣ってきた。
天武天皇の時代にも、来日した唐人が唐のものを献上したのに対し、日本側からは〈純千六百七十三匹、布二千八百五十二端、綿六百六十六斤を賜った〉と書かかれており、
日本から唐人たちに絹や綿の織物を与えていたのである。
日本から行く人々がせいぜい五、六百人であるのに、彼らは三倍以上来ていたことは何を意味するのか。

今日の中国の一部となっている渤海から、日本へは約2百年の間に33回も使節を送ってきている。これに対し日本からは13回である。
新羅からは8世紀の百年だけで日本へ35回も遣日使がやって来ており、日本の遣唐使が17回ほどである
http://www.geocities.jp/shonan_fuminokai/siryou/9-nipp...

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009 2019/02/02(土) 11:40:04 ID:0VPwoc047k
>>5
馬鹿丸出しの典型的ネト­ウヨ思考。
単純に国防上の理由だろ。
倭と渤海、あるいは倭と唐が結んで攻めてこられると困るからだろ。
そもそも、贈ったものより贈られるものが多いとしても
倭に使いを送る費用の方が高くつくわ。
一体どこの馬鹿が書いた本を読んだのかとw

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