歴史における役割が終わったら殺される例が多い?
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001 2022/07/23(土) 11:34:04 ID:mzkBfMqmns
063 2024/01/14(日) 13:47:36 ID:TZkt5GIuH6
1889年に第1次山縣内閣を組閣。軍備拡張をめぐり民党と対立し、自由党土佐派を切り崩して切り抜けたが、結局1891年に内閣総辞職。この際に元勲優遇の勅語を受け、以降元老として大きな政治力を発揮した。
日清戦争では第一軍司令官として出征。1898年に元帥。同年の第1次大隈内閣瓦解後、第2次山県内閣を組閣。憲政党と提携して地租増徴を行い、政党勢力の官僚機構進出を阻むため文官任用令改正、枢密院権限の拡大、軍部大臣現役武官制の制定などで官僚制を強化。
また治安警察法の制定で台頭する労働運動に備えた。外交面では1900年の義和団事件で列強諸国と共に清に派兵し列強諸国の一員となる地歩を固めた。同年に伊藤博文が立憲政友会を組織したことで内閣総辞職。
日露戦争では参謀総長として指揮し、その戦功で1907年に公爵。
1909年の伊藤博文の死後には軍の巨頭として元老内の最有力者となったが、大正期に政党政治の力が本格的に強まってくると影響力を弱め政党政治を容認するに至った。1922年に死去し、国葬に付された。
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