良くも悪しくも、戦後処理という汚れ仕事を一手に引き受けた
日本国総理大臣、吉田茂の実父である竹内綱は、幕末に「大坂目付」の役職にあった。
幕末に、大坂目付であったということは、薩長軍が大坂堺の豪商と結託してグラバーなどの
武器商人から重火器を購入することを黙認させられた、幕府方の武士監査官だったということ。
幕府方の秩序基準からすれば、明らかに不正な手段によって薩長が暴力を蓄え、
その暴力によって実際に幕府を倒壊させてしまった。倒壊してしまったからには、
旧大坂目付といえどもお咎めなしで、竹内綱なども、自己の落ち度を開き直っての
自由民権運動などに及んだわけだが、旧大坂目付の役職にあったものが、到底官人
としては信用するに値しないような不手際を犯してしまったことには違いないわけで、
そのことが、大坂目付の子孫としての吉田茂らの人格形成にも深く関わっていったのである。
吉田がひどく横柄だったことは、誰しもが知るところ。
それも、「俺みたいな血筋の人間が気品を持ってみた所で、仕方がない」
という開き直りによるものだった。その横柄さが極まって、
GHQ総司令官のマッカーサー元帥にすら人を食うような態度でかかった。ここは、
「アメリカだろうがイギリスだろうが、先祖に恥をかかした相手であるには違いない」
という道理に即している所もあるために、そこそこに筋も通っていたことだといえる。
近来の日本の不遇を拭い去る鍵は、戦前ではなく、明治以前にこそある。
明治以前、江戸時代までこそは、日本も外界侵略一つ行わない完璧な無罪状態にあった。
そこに世界侵略の悪逆非道を積み重ねて来た鬼畜米英がやって来て、何もかもをダメにした。
そこまで遡ることで始めて、日本の無罪と米英の有罪とが決定的な隔絶を生ずる。
そこまで遡って歴史を清算するというのであれば、日本の側の一方的かつ完全な勝利と、
米英の側の一方的かつ完全な敗北とを決定付けることができる。ただ、戦前や明治に
戻ろうなどとしたところで、そこまでにもスッキリとした処分が尽くせたりすることはない。
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