確かに、山本五十六 米内正光 井上成美 の三人は新聞マスコミからは 「海軍左派三羽烏」 と揶揄されていた事は事実
現在でも 山本五十六を ウヨ連中はボロクソに非難してはいるが
どう贔屓目に考えてやっても、アメリカと戦争せざるを得なくなった責任は ウヨ勢力に有る
現実に 米内 井上 の二人が終戦工作に奔走したからこそ ようやく日本は負けを認めた訳であり
この二人が居なかったら 本当に本土決戦を戦わねばならず あと何百万人無駄死にさせたか想像もつかない
少なくとも日支事変の始まった昭和12年の時点では 海軍の主流は非戦派だった
対米戦争に否定的な人間は これ以降徐々に中央から遠ざけられた事は紛れも無い事実
海軍のみならず陸軍でも 対米戦争に否定的人物は 左遷あるいは最前線にやられた
開戦当初の現地指揮官、山下奉文 本間雅晴 飯田祥二郎 今村均 すべて対米戦争に否定的懐疑的意見を述べた者たちである
対米戦争に否定的意見を持っていると言う事は マトモな戦略眼を持っている証であり
この優秀な指揮官達によって序盤の快進撃が成し得た訳である
他にも石原莞爾は予備役に追いやられ 栗林忠道は閑職(絶望的な戦況に至って やっと硫黄島に駆り出される)
しかし、いくら前線に優秀な指揮官がいても 意思決定をする中央には 開戦強硬派の妄将ばかりが
雁首並べていたのでは、結局勝てる訳が無いのである
山本五十六を名将だという評価は 正直微妙な所ではあるが
あの時代の妄将ぞろいの帝国陸海軍の中では やっぱりマシな方だった事は間違いない。
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