土偶っていった何だったんだろう?


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001 2015/10/21(水) 08:16:26 ID:PUI4tRgUYg

↑ これはイノシシ土偶

〜土偶の特徴〜
①多くの土偶は妊婦(女性)である。
②故意に壊され埋められていた。
③東日本で大量に出土。
④出土総数 15000個。
⑤縄文時代に作られた土偶総数は約3千万個と考えられている。

様々な種類があるので、用途も様々だったんだろうけど、
いったい、どういったことに使われていたんだろうね。

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026 2015/11/15(日) 08:06:41 ID:FB2cqAfTR2
>>24
>先史(?)の知識がほぼゼロ
>>25
>解らんことだらけだからかな?

専門家にしても解らん事だらけで、断定出来るような資料が無いからね。
縄文時代の物品に関しての説明文は「〜と思われる」「〜と見られる」「〜と考えられる」のオンパレード。
たまに断定調で書いてある説明文もあるけど、まあ「通説では」レベルの話であって、
そういった内容を覆す出土品が一つでもあればすぐに覆る程度の「蓋然性の高い仮説」でしかない。

今後「蓋然性の高い仮説」の精度が高まるにしても落ちるにしても、どっちにしろ断定は出来ない。

「祭祀に使われた」という仮説にしたって、じゃあどういうものが反証なのか、どういうものが傍証なのか。
似た様なものが大量に出てくるだけでは一向に精度向上には繋がらないという困難さを持つ。

しかし、もちろん、だからこそ、想像の幅があって古代史は楽しいとも言える。

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027 2015/11/15(日) 15:37:09 ID:9WomIdD/K2
信楽焼の狸

一体何なのか?
庭にある犬の置物、小便小僧、ウサギやフクロウの置物、何なのであろうか?
福助人形、おきつねさんの泥人形は?美少女フィギュア、ウルトラ怪獣のソフビ人形は?

祭祀につかったんだろうねえ

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028 2015/11/19(木) 21:30:58 ID:8Al3SNnj.M
イノシシ土偶は身近な「多産」の象徴的な置物
祈りの気持ちを形にすることで、常に祈る代わりになるね
土偶の多くは望ましいことの表徴
もしくは愕きあきれるほどありがたいもの
神社の注連縄と紙垂が、縄文時代以来の「蛇」とその「脱皮」を表現しているように

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029 2015/11/20(金) 13:37:56 ID:Mp7/O./ZcA
注連縄は、雲と雷(落雷)を表現しているという説もあるけどね。
他にも説はあるようだけど。

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030 2015/11/21(土) 08:02:14 ID:q9ySzlYVVU
宮沢賢治は花巻農学校で教鞭をとっていたころ、
「注連縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、
紙垂は雷(稲妻)を表わしている」と、生徒に教えていた。
雲と雨と雷は、豊作のための不可欠な要素であり、注連縄は元来、豊作を願って神社に奉納されたとされる。

〆の子は雨なのだな

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031 2016/01/10(日) 17:37:11 ID:1HUweuZYFs
注連縄は元来、単に「聖域を区画する為の紐」。具体的には植物のツタ。
という説もある。

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032 2016/01/18(月) 04:45:37 ID:0jMTF6hdD2
1726 Jomon Zodiac in Japan日本の縄文12星座+縄文簡易天文観測装置
byはやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
http://youtu.be/RRr6ei3IDZ...

考古学の嘘が次々とあばかれとるね

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033 2018/06/17(日) 11:23:28 ID:uHs08xGyKg
土偶が弥生時代には木偶になって、遺物になりにくくなったのかな?
古墳時代には、埴輪という、全く異なる泥人形が造形されるけれど、
一方で、途絶えることなく木製人形は作られ続けたと想像したい。
この伝統の流れは、形こそ変えているが、雛人形に繋がっているのではないか?
雛は、鄙であり、夷。
蝦夷人形。
つまり、おしら様の木偶。
縄文時代にも、弥生時代にも、古墳時代、飛鳥、奈良時代以降、現代まで、一貫して作られ続けたものがもう一つ。
ミニチュアだ。
なぜか、人間はリアルだけれども使えないミニチュアを作り続けてきた。
これが、土偶(土偶もある意味ミニチュアだが)と合流したのが、雛人形。
元はと言えば、流し雛のように払いの形代。

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034 2018/07/28(土) 15:20:40 ID:rVSVYSe3N.
土偶は身代わりだね。

怪我や病気や出産に先立って身代わりとして作っておき、いざその時になったら壊して「死を肩代わり」させるもの。
特に女の場合は、一人の死がそのあと生むべき子供の命(の可能性)をも絶ってしまう事から重要視されたのだろう。
造形や作る手間から考えて、重要な意義が付与されていた道具であることはほぼ確実だろう。
その意味で言えば、「日常的に神様に祈る道具」というよりも、命に直結した切実な願いの時に使われたものであろうと推察する。

中空の土偶が多い事に着目すると、恐らく当人の血を入れたのではないだろうか。

たとえば想像すると、女子が初潮を迎えた時にその当人を模した(顔の特徴をデフォルメした)土偶を作り、初潮の血を入れる。
それにより土偶はそのモデルとなった女性そのものとして扱われるようになる。
やがて妊娠した時、出産を目前に控えて土偶を壊す。
土偶が死を代行してくれたから、母体も子も大丈夫、安心して出産しなさい・・・と安心感を与えるのではないか。

男の場合はどのタイミングか。
恐らく少年時代を脱し、狩りや他集団との闘争に駆り出される前だろう。
魏志倭人伝によると古代では入れ墨などの習慣があったというから、大人になるために体に傷を作る儀式があったのだろうと推察する。
その血を土偶に入れる事により、当人そのものとして扱われる。

土偶の多くは女性の特徴を持っているというから、男の場合は族長などのような重要人物以外作られなかったのかもしれない。

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035 2018/08/04(土) 08:37:02 ID:KrByj9PQJU
弥生時代に木偶を製作できる石器や青銅器はあったのか
男根型やら鳥型の木製品出土例はあれど、縄文クオリティを維持できてはいない
埴輪は全然異なる

縄文の土加工への執念は凄まじかった
耳栓なんて見事なものだ

北海道出土の「イカ」も美しい
白色凝灰岩を彫刻した縄文時代の女陰造詣も土製品ではないが写実的
つまり、土偶は写実ではなく、精霊造形

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