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闇の女パンパンガールのいた街角


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001 2024/05/30(木) 15:51:29 ID:TQyCCBILZc
戦後の焼け跡に公娼よりも早く現れた街娼たち。洋装文化をいち早く採り入れ、官庁街や銀座のOLを始め、わざわざ東北の教員までが立ちんぼになった時代があった。肉体の門の世界だ。貧困ではなく、戦災未亡人でもなく、なにゆえ女達は身体を鬻いだのか?

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447 2025/04/25(金) 12:25:06 ID:LILAZit4c2
>>446
1)への答え
MMTは 「Yes」 と言います。
とくに、不況時や失業があるときには、政府が財政支出を通じて「雇用の受け皿」になるべきだと強く主張します。

2)への答え
建前(MMT原理主義):
→ 財政支出は「必須ではない」。景気が勝手に良くなって、フル雇用になればOK。支出は必要に応じて使うツール。

本音(MMT実践論):
→ 現実の資本主義経済では、民間需要だけでフル雇用を達成するのは難しい。よってほぼ常に財政支出は必要。


3)への答え
はい、それは「民間がうまくやってれば政府は黙ってていい」という構図で、原理的にはそうです。
でも、実際はそんなうまくいかないから、常に政府が出動する構造になってる。
つまり、
理論上:必要に応じて行う政策手段(副次的)

現実上:構造的に常に必要(実質的に前提)

なんだこれ?

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448 2025/04/26(土) 11:23:34 ID:xZ8SfGLcNU
馬脚が現れましたな。

理論上は、ミニマム政府と自由市場、
現実上は、共産主義、

それが、MMTという評価ですな、私は。

MMTは、「リバタリアンの衣をまとった共産主義」
トロイの木馬確定。
ミニマム政府が、あれが足りない、これも足りない言いながら徐々に肥え太り、共産主義に登頂してしまうのだろうな。

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449 2025/04/26(土) 12:31:57 ID:xZ8SfGLcNU
MMTが財政支出は副産物と言ったり、貨幣こそ副産物(貨幣論なのに!)だとコロコロ言い分を変えるのは、MMTっぽく見えるパースペクティブを維持するために他ならない。つまり、かなり難易度の高い無理くりな錯視操作で見えてくる像を理論化している。直観に反するのは、科学っぽくて美しい、位に陶酔しているかも知れない。ドーキンスの利己的遺伝子論に似ているが、あれも科学ではなく、単なる解釈学だ。視座の切り替え芸、既成ナラティブを批判するナラティブ、語りの目的化に過ぎない。

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450 2025/04/26(土) 13:55:57 ID:xZ8SfGLcNU
私は経済学は、実物の流れだと考える。貨幣などはむしろ余計。時には捨象して考えるべきだ。MMTと分かり合えるはずがないが、「政府には支出する自由がある」を極限まで突き詰めるなら、MMT目線でも貨幣などは副次的なもの、支出に随伴する記号と化す。政府の支出の自由=政府の実物取り立ての自由に他ならない。どうやらその辺りで撚り合わせられそうだ。現代貨幣理論と貨幣抜き思考実験で合流する。
貨幣など介在させるからややこしい。貨幣なしで考えるなら、国が権力を用いて実物取り立てをおこなう、以上終わり、だな。財政支出と徴税のシンプルな一体化が真実だ。

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451 2025/04/26(土) 22:16:53 ID:xZ8SfGLcNU
貨幣なしで考えるなら、徴税と国債は区別がつかない。というより、国債は成立し難い。国債は、12,3世紀のイタリアのジェノヴァやベネチアの都市国で商人から戦費調達の資金を借りることから始まったが、近代国債制度は、17世紀末イギリスのイングランド銀行創立に伴って誕生した。この時も目的は戦費調達であったから、エマニュエル・カントは、国債禁止を訴えた。イングランド銀行は、国債発行、管理銀行として設立されたの後、中央銀行機能を備えるに至った。貨幣制度、中央銀行あっての発明なのだ。

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452 2025/04/27(日) 11:26:02 ID:BpZJ39/5p2
貨幣なき世界の徴税は、財政支出時になされる。貨幣ある世界の徴税は、貨幣吸い上げ時だと勘違いされるが、財政支出時に実物取り立てされることこそが古来、徴税の本体、本質だ。
貨幣なき世界の国債とは何だろう?
毎年100(実物)徴税していた国家が、今年だけは200(実物)徴税しないと間に合わんとて、国民を説得し、今年200徴税する代わりに10年後に100徴税しない年にするから気張ってや、が、貨幣なき世界の100の10年国債だ。
で、10年後に徴税100 を中止できればOKだが、多分無理だ。徴税をしたら約束は反故。反故=償還踏み倒しだから、国民は反発し二度と徴税には応じないだろう。だから、政府は10年目にこう言い訳する。約束は履行する。減免で0だ。だが、どうしても予算が100足りないから足りない100だけは例年通り気張ってほしい。その分は改めて10年後に減免するからと。かなり苦しいが事実上の踏み倒しが借り換えに化けた。延々と踏み倒せれば、過去の一過性の増税が繰り延べられて消えずに残る。残高は100のまま増えはしないが約束が先送りされる。こんな無理な芸当は持続可能でないから、貨幣なき世界には国債は存在しないのだと言える。

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453 2025/04/27(日) 14:06:13 ID:BpZJ39/5p2
一方貨幣ある世界では、減免年すっぽかしを、借り換えと呼び、易々とやってのける。貨幣なき世界では、増税年は過去の彼方だが、減免年が来なけりゃ借り換え継続と同義。
貨幣ある世界なら、国債残高100が延々と残る姿だ。真面目に税金で償還するならタイミングをずらした増税に過ぎないが借換債なら誰も痛痒を感じない。あまりにも便利だから箍は外れ、毎年100では済まず今年も100追加、50追加と莫大に積み上がる。これのおかげで市中には貨幣が存在するんだよと言われて納得できるなら、そうすればいい。国債の借り換えでマネー供給が増える理屈は存在しない。
貨幣なき世界で、もし毎年100新規国債を継続発行するなら、残高は算術級数的に増えるが、増税が姿を変えただけだ。
国債継続発行などあり得ない。つまり、増税、減税しかない世界が貨幣なき世界だ。

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454 2025/04/27(日) 15:30:45 ID:BpZJ39/5p2
貨幣ある世界では、国債引き受け手がいて、実物から遊離した出涸らしの国債も売れる。買った金は、償還期限には戻るが、そのための新たな国債を誰か他の引受先に買わせてバトンリレーを始めるのを借り換えという。皆が順繰りに償還を肩代わりして累積を見物する。貨幣なき世界では、そんなスペクタクルはない。
貨幣なき世界では、そもそも徴税とは、財政支出と同時になされるものであり、財政支出は歓迎されるようなものでは全くない。働かされ、実物を奪われることだからだ。
なぜ貨幣が介在するだけで反転し、もっと財政支出をと願われさえするのか、まことに不思議なものである。
市中で価格形成機能を持ち、交換手段として形成された貨幣は実物取引ツールに育ち、実物と交換に入手される証書=実物取り立て券だから、納税(実物納)と引き換えに受け取るなら、市中で他の実物を取り立てることが出来る。交換手段育成市場で、交換行動により貨幣が実物を商品化して行く。実物と結びついた貨幣の受け取り行動こそが、納税行為であり、他方、貨幣納は、単なる貨幣返納だというMMTイメージになるわけだ。

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455 2025/04/27(日) 19:40:33 ID:BpZJ39/5p2
貨幣受け取り行動=納税ならば、国債も税金も区別はつかないし、要らない。もとより徴税には貨幣受け取りなども要らないのだが。
国債や貨幣のある世界の話の続き。
貨幣ある世界の徴税では、100国債発行するから追加100の貨幣徴税はなし。それでも財政支出は200あるから政府は計画遂行できる。100の国債を償還するしないは国債引受先と政府の間の話に過ぎないが、償還しない選択肢はない。借り換えの選択肢はあるが、貨幣発行体が引き受けたりしたらどうなるかは国民のあずかり知らぬことである。MMTは、国債が売れようが売れまいが関係なく追加財政支出できると主張する。国民は、財政支出時にマネーを対価に余計働くが、借り換えや中央銀行引き受けでは影響を受けない。追加負担に国民から一切不満が出ない仕組みがマネーなのだ。
この比喩が正しいのか、それとも、他国(外部)から借りる下記の比喩が正しいのか。因みに他国から借りるパタンは自国通貨発行権がない国の比喩にも適用できる。
貨幣なき世界で、200徴税したい政府は、足りない100を他国政府や100貸せる篤志家から借りる。その代わり将来必ず返すと約束するのだ。200の財政計画は果たされるが、自国民は、100だけ働けばよい代わりに将来働いて返さねばならない。この場合、借り換えは、働いて返さず、新たな貸し手を探して最初の貸し手に返し続ける。自国内前借りと他国借り、将来楽できるのと、将来余計に働かされるのと、180度違う比喩だ。貸し手は、必ずしも他国部外者である必要はない。自国内篤志家でも構わない。さてどっちが適切な比喩か?前者である。

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457 2025/04/28(月) 18:42:36 ID:/sTmXGJ0kQ
国債は、基本自国内消化が主流。仮に他国ではなく、自国内篤志家にしてみれば、また、自国内篤志家が自国民納税者全員だとし、返済は単年度無税で構わぬと言ったら、すっかり前者パタンに嵌る。返済に追加負担ではなく、単年度無税は、自国政府との取引交渉ならばアリだろう。最初に追加負担を強いられ、後年追加負担分を無税で支払われるのは、悪くないディールだ。それが履行されにくい点を除いて。他国から借りたなら自らは追加負担していないから後で追加負担のお鉢が回ってくるのは当然。こちらの方が貨幣あり世界の国債に近い気がするかもしれないが、国債のやり取りは、政府がやるので納税者には関係ない。納税者は、ただ追加負担をするのみだ。徴税の真のステージは財政支出と同時になされる訳だから、外から借りない以上は、国債発行年に1度だけ追加負担を負うのであり、外から借りたなら、返済年に1度だけ追加負担を負うという違いがある。自国通貨を持たない国は返済規律が働くが、デフォルトも免れない。自国通貨を持つ国は、通貨価値を維持できなければ、他国通貨を借りて生きる身に落ちるから、自国通貨価値の維持が、規律。

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458 2025/04/28(月) 18:45:55 ID:/sTmXGJ0kQ
「自国内なら約束は反故にしたくなりがちだが、信頼関係を損ねるから借り換え連チャンモードとは行かず、対外的ならちゃんと返済しなきゃならないが借り換えが容易じゃあない」が、教訓に引き出せる。両ケースとも国債はなかなか難しい。そして、いずれにしても国債とは、追加負担なのだとね。それが貨幣現象になった途端に経済活動なんだと、経済活性化、景気浮揚なんだと価値転倒するが、考えてみれば、多忙とは、過重労働にほかならないのだ。貨幣なき世界では多忙は単なる酷使。貨幣ある世界では商売繁盛。根本的倒錯が貨幣のせいで起きている。MMTは、共産化ルートであるばかりか、隷従への道。
いや、言い過ぎだ。貨幣経済はMMTが発明したわけではない。貨幣ゆえの国債の利便性もMMTのおかげではない。

貨幣なき世界の教訓がもうひとつある。
稼ぎたいなら楽して稼げ 。
楽して稼ぐ方法の一つが、徴税だ。
おあとがよろしいようで。

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459 2025/04/29(火) 05:15:38 ID:stqlYg6Jsw

貨幣なき世界では、そもそも徴税とは、財政支出と同時になされるものであり、財政支出は歓迎されるようなものでは全くない。働かされ、実物を奪われることだからだ。
なぜ貨幣が介在するだけで反転し、もっと財政支出をと願われさえするのか、まことに不思議なものである。
実物納税と引き換えに受け取った貨幣は、市中で価格形成機能を持ち、交換手段として流通し、実物取引ツールに育ち、実物と交換に入手される証書=実物取り立て券となる。市中で他の実物を取る連鎖が交換市場を形成、人々の交換行動により貨幣が実物を商品化して行く。実物と結びついた貨幣の受け取り行動が、真の納税行為であり、貨幣納は、単なる貨幣返納に過ぎない。これは、すでにMMである。

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460 2025/04/29(火) 07:01:07 ID:stqlYg6Jsw
貨幣納は、単なる貨幣返却、回収。MMTもそう主張している。だが、財政支出時が納税の本体、本質とまでは主張できてはおらず、副次的とまで言い出す始末。貨幣発行権と貨幣ライフサイクルばかりに注目してしまうから、税金は、財源に非ず止まりだ。
「税金は財源ではないが、財源などというものはなく、税がある」という真実に直面せずに引き返してしまう。これがため、まるで世の中に税が存在しないかのような誤解を招く羽目になる。税金は財源ではないが税はあるという真実に向き合うなら、知らねばならぬ現実が現れる。

「納税しているのは、国民のごく一部。貨幣返却するのはほぼ全員」という奇妙な現象だ。

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461 2025/04/29(火) 13:38:34 ID:stqlYg6Jsw
税、納税、徴税は、あくまで実物、労務提供。 税金は貨幣返納と用語を分け、混同しないようにするべき。
これを新しい経済•財政学の基盤としてパラダイムシフトを起こさねばならない。

実物・労務提供としての税を負担しない大多数は、実質的な「免税者」だが、受益者でもあるから文句は出ない。世の中の価値基準が貨幣中心になるから、負担者たちは負担を嘆かない。この不思議が、現実。
交換価値>実物使用価値というマルクスの観察の根源がこれだ。貨幣というモルヒネ、快感誘発物質により、価値転倒が起きている。貨幣は単に実物と反対側に流れる記号に過ぎないのに、実物取り立て券や、負債証書として流通し、多種多彩な実物を背後に従える未実現所有様態として君臨し始める。
莫大なる未実現所有様態保持者を富豪と呼ぶ。 多種多彩な実物を貨幣に結びつけたのは政府ではない。民間市場だ。新しい商品、新しいサービス、新しい市場を生み出したのは民間だ。貨幣という記号が政府から配布された後に、その記号を巡る争奪戦の渦中に、実物の商品化が促され、税負担者ならぬ市井の人々が相互負担連鎖運動を開始するのだ。これが一般交換というものである。税負担が相互負担に勝る公的なものだとばかりは言えないはずだろう。市中銀行は、信用創造まで手掛けるから、税だけが貨幣を供給するわけではない。

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462 2025/04/29(火) 16:03:29 ID:stqlYg6Jsw
多くの人は、財政支出時を納税とは捉えず、貨幣納時を納税(税金)と捉える。
本来、税は間接的に貨幣(記号)で徴収されるものではなく、労働や実物を通じて直接的に納税されるものでしかありえない。しかも、ごく一部の労働者によってだ。これを気の毒と取るか狡いと取るか?
国が貨幣納を義務化すると、記号が本当に価値あるものに思えてくる。そのごく一部の労働者を起点に、貨幣の価値が浸透し、貨幣争奪行動が広く行き渡るなら、全国民が連鎖的に労働、実物を提供し合うことになる。経済波及効果というやつだ。
しかも、国民は、一部の者への財政支出の成果物たる公共インフラや教育、社会福祉サービスの享受にも与るという……それを負担しているのはごく一部の労働者。なぜ我慢できるのだろうか?
貨幣のせいだ。貨幣のせいで国債が可能になり、借り換えも可能になり、何が公平公正かも転倒し、様々な怪現象も起きる。誰も不思議がらないが、再分配に起きた変事は、当然社会的交換にも起きているから、様々な社会論が展開した。搾取だのなんだのマネーゲームだなんだの、バブルだなんだの…………

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463 2025/04/29(火) 17:24:12 ID:stqlYg6Jsw
国の計らいで、納税者に褒美を与えることになった。「納税したから、褒美に貨幣をやろう。貨幣を使って取引とかできるぞ、便利だぞ。」となった。最初の貨幣は、子安貝だったかも知れないし、牛や金だったかも知れない。そうしたら、かなり便利で、普及し、実物やら行動が商品化された。市場が発達し、商品が増え、価格形成がなされるようになった。その代わり、やたらと人は他人のために働きはじめ、忙しくなった。国のためだけじゃなく、他人のために多忙になった。やがて金持ちが生まれた。

貨幣の登場、介在で、本来の社会的再分配構造が、かなり変質したのに、あまり気づかれてすらいない。

社会的交換や、社会的再分配がまだ維持されているかのような錯覚を纏いつつ、実際にはMMT的な構造に再分配は転換しているし、市場交換も社会的交換の原型をとどめちゃいないのだ。市場交換、即ち資本主義についてのMMT相当物は未だ登場してはいないのかも。マルクスは資本論で金融を語れず、ピケティも不十分。

現代貨幣論再分配編がMMT、現代貨幣論交換編に相当するのは?まだない。

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464 2025/04/30(水) 18:54:58 ID:mHZeFzTt1Y
だが、そもそも再分配とは何だ?
神輿を担ぐことなのか、溜め込まれた財のポトラッチなのか、供出して適正分配の狩猟分配ルールなのか?貢献→褒美なのか?社会的に必要な構造としての再分配の本質はどれなのか?

どれも正しいし、再分配の社会的機能を説明している。
だが、私は貨幣の国家褒美起源説でMMTを乗り越えたいから、貢献→褒美説だな。
「龍の子太郎」のモデルとなった信濃の泉小太郎伝説は、狩猟社会的分配ルールから神輿担ぎ型ルールへの転換を表す。ポトラッチ側面は、溜め込まれた水の放出に象徴的に表現されるが、灌漑と水分(みくまり)の農耕社会秩序を母子協力がやり遂げた話に神輿担ぎ型ルールがある。
貢献→褒美側面だけはないが、それこそが現代の国家、貨幣制度、資本主義の起源

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465 2025/04/30(水) 19:10:12 ID:mHZeFzTt1Y
つまり、松谷みよ子の龍の子太郎は、狩猟社会の分配ルール違反で龍にされた母と子が協力して溜め込まれた湖の水を解放し、水利事業に献身、農耕社会の水分神伝説と化すところまで描き出している。封建社会では、褒美が再分配に登場、土地、茶碗、刀剣から秀吉の天正大判を経て金銀となり、兌換紙幣→不換紙幣→近代税制→議会制→国債→資本主義社会へと連なる。


貨幣の褒美起源説はかく語りき。

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466 2025/04/30(水) 19:16:02 ID:mHZeFzTt1Y
大河「べらぼう」では、「巡る因果は恨み週じゃなくて恩がいいよ」と、恩送りが瀬川の台詞に登場、朝ドラ「あんぱん」では、第5週サブタイトルに、やなせたかしのモットー「人生は喜ばせごっこ」と出た。国家の褒美起源の貨幣は、市中に放たれ、恩送りと喜ばせごっこの旅を続けて回収されるが、旅の間にもよほど素晴らしい行いを目撃してきたはずだ。しかし、民間での評価は極めて個人的、刹那的利便性に偏り大所高所からの公的な価値は拾われ難い。国は買物しか出来ない低能だが、近頃とみに買物センスも衰えて、無駄遣いが目立つ。なんとか褒美を授ける能力位は維持して欲しい。それが、財政支出だけでは足りない国の褒美戦略、即ち公的価値実現審査恩賞制である。


財政支出が徴税の本体なら従来、税の公平性はないがしろにされてきたと言わなしょうがない。
貨幣納における税の公平性議論は全部インチキだったわけだな。本質本体としての財政支出時の徴税の公平性はただ単に形式的な入札だし。

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467 2025/04/30(水) 19:48:49 ID:mHZeFzTt1Y
「財政支出が徴税の本体」なら、通常言われる「貨幣納付(税金納めること)における公平性」議論は、そもそも全部ズレていた。
本当に大事な公平性は、「財政支出の場面=国から民への仕事や物資提供の割当の場面」で確保されるべきだったのじゃないか?
でも、その現場は単なる入札(=価格競争)に過ぎてるし、公務員給与か、公共工事請負子飼い業者や電通的癒着先利益誘導に消え、公平性の議論なんかされてない。
税の公平公正を謳うのであれば、
支出=徴税の本体(つまり「財」を徴収する本質行為)だと認めると、
税の貨幣納段階たる税金(貨幣返納)で「公平に負担させる」とか言うのは、ほぼ全部インチキだったことになる。

でも、その代わり、財政支出時に
「誰に労務を依頼するか」「誰から物資を買うか」については、超絶に公平でなければならなかった。

ところが現実は、そこは公務員試験や「入札(価格競争)」に丸投げされ、身内固めに流れ、形式的競合だけで済まされてきた。経済波及効果論も逃げ場になった。

私の認識が正しいのならば、恩賞制はやったほうがいい、じゃなくて、やらなきゃ駄目なものになった。

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468 2025/04/30(水) 20:14:53 ID:mHZeFzTt1Y
MMTとの違いは、私の理論では、貨幣経済の種火たる貨幣の起源を褒美とし、この褒美が、市中を巡る間も、褒美性を保ちながら経めぐり、市場を形成しながら価格形成も、商品化もしながら、求められ続け、貨幣経済確立のためと、全員負担の国民国家幻想イデオロギーのために政府に回収されるのだと説く点だ。私のは、あくまでも社会理論であり、貨幣論の枠には収まらない。一旦燃焼が始まれば、もはや種火は、無用。最低限根の公務員と、インフラメンテ位で十分だし、国民統合は、税金である必要はない。

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469 2025/04/30(水) 20:35:25 ID:mHZeFzTt1Y
貨幣の帯びる褒美性は、金銭的成功を神の恩寵、救済の証とみなすキリスト教新教にも窺い知ることが出来る。

プロテスタンティズムカルヴァン派における金銭成功の「恩寵の証」としての意味は、貨幣が単なる交換の手段を超えて、「褒美=恩寵のしるし」としての象徴的意味を帯びて巡回していることを意味する。

つまり、貨幣は物理的なものとして流通しているだけでなく、「誰かが神に選ばれし者である」ことを他者に示す記号(象徴資本)として機能し、同時に禁欲的に使われることで「再投資」され、さらに褒美性を拡大・循環させるという二重の意味を持つ。

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470 2025/04/30(水) 22:26:52 ID:mHZeFzTt1Y
実物・労務提供としての税を負担しない大多数は、実質的な「免税者」だが、受益者でもあるから文句は出ない。価値基準が貨幣になるから、負担者たちは負担を嘆かない。
この不思議が、現実。

交換価値>実物使用価値というマルクスの観察の根源がこれだ。
貨幣というモルヒネ、快感誘発物質により、価値転倒が起きている。
貨幣は単に実物と反対側に流れる記号に過ぎないのに、実物取り立て券や、負債証書、褒美、恩寵として流通し、多種多彩な実物を背後に従える未実現所有様態として君臨し始める。
巨大なる未実現所有様態保持者を富豪と呼ぶ。
多種多彩な実物を貨幣に結びつけたのは政府ではない。民間市場だ。新しい商品、新しいサービス、新しい市場を生み出したのは民間だ。貨幣という記号が褒美として政府から配布された後に、その記号を巡る争奪戦の渦中に実物の商品化が促され、税負担者ならぬ市井の人々が相互負担連鎖運動を開始するのだ。これが一般交換というものである。
政府による税負担が市中の相互負担に勝る公的なものだとばかりは言えないはずだろう。

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471 2025/04/30(水) 22:46:20 ID:mHZeFzTt1Y
市場でも実物、サービスの相互負担は活性化され、総負担量トータルでは公的税負担を遥かに凌ぐGDPが表す規模になる。だから、公的税負担>民間相互負担ではないし、いずれがより公的かもありはしないのだ。

公的税負担は、民間の一部が生貨幣を市場にもたらすために政府にアプローチしている姿でしかない。そもそも生貨幣流入は常に民間に必要不可欠だろうか?

生貨幣がなくても銀行の信用創造があるではないか?

しかも銀行は、借り換え大歓迎だ。

結果、銀行の信用創造総量は、国債残高より巨大だろう?

国債も借り換えで姿を消さないが、銀行の信用創造も借り換えで姿を消さない。

国債残高が政府の借金だからヤバイ、言うくせに、銀行の信用総量が民間の借金だからヤバイとは言わないのだ。どっちがリスクが高いだろう?


国債残高は見つめられた鍋、民間信用残高は弾けないと分からないバブル。後者は度々管理にしくじり惨禍をもたらしていることは確かだし、処置に当たるのは国債だ。

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472 2025/05/01(木) 05:47:13 ID:BT25titrZo
貨幣はそもそも国家が与える「褒美」だった。
財政支出(=恩賞授与)が国家活動の本体だった。
市中では、私的な利益優先で貨幣交換ががなされ、溜め込まれがちになるから貨幣返納=税金がある。
国家は市中の評価を拾い上げる「目」と「センス」を失いつつある。
放っておくと、無意味な「買物」だけして国家が空洞化する。なぜなら、財政支出は、生貨幣投入に意味があり、その内容、中身は二の次、不問だからだ。貨幣は生まれ巡れど公は成らず。そんな恩送りも喜ばせ合いも劣化した世に、私が政治を蚕食してしまったのが現在地だ。政治に公がない危機を本気で、危ぶむ者とていない。

政治がどんなに徹頭徹尾「公」であらねばならなかったかが改めて浮彫になる。そして、今、なぜ政治が行き詰まり、不可能性が目立ってきているのかも理由が分かる。
政治とは本来、「公的価値を見抜き、育て、褒美を授ける」ために存在していた。
それが腐って、
効率良く私腹を肥やす手段(=参政権乱用)
人気取り(=民間利便へのおもねり)
資本との癒着(=買収される公)
官僚制の硬直(=機械的買物マシン化)
になった。
要するに、必要なのは、「公」の根源的な力=恩送り・喜ばせごっこ・公的価値目利き力、これを回復させることなのだ。
政治とは「公的価値の目利き」であり、その目利き力が国家そのものを成り立たせている。誰も気付かぬ政治の本質。政治とは何かと問われ、公的価値実現と答えられる人がどれだけいるだろうか?

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473 2025/05/01(木) 11:52:32 ID:BT25titrZo
>>468
だから、減税と財政削減をセットでやるために、恩賞制を利用する。官ではなく民が公的価値を実現する主役になる。それを認証し、減税という恩賞で報いる。種火はもういらないから歳出削減もするが、財政支出するなら、恩賞を獲得した企業を優先する。
貨幣退蔵に関しては、もしかしたら、税金ではなく、少なくとも金融機関への預け入れと金融機関からの融資促進が正統派かも知れない。さらなる財政支出でインフレ気味にして退蔵をおびき出して溶かすMMT路線も王道かも知れん。税金は、使うか取られるかどっちがええ?と北風方式で脅して溶かし、太陽方式でインフレにして溶かした後、暑気払いにも使われる。
だが、太陽方式も限界がある。株式資本主義が退蔵方法を指南する。

株式はインフレに強いとかいっちゃうから、ますます退蔵を煽り、太陽方式を無効化、財政支出太陽耐性菌みたいなもんやな。北風方式なら資産課税が有効だ。キャピタルゲイン課税だと譲渡自体を抑制してしまう。

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474 2025/05/01(木) 12:04:36 ID:BT25titrZo
要するに現代の「貨幣納としての税金」の意味や役割とは何か?
貨幣浸透普及の役割はとっくに終わった。薬が効きすぎて退蔵されるほどだ。
インフレ抑制の機能は財政支出を止めないなら限定的か無意味。
国民国家国民統合のための全員納税イデオロギーは、税金忌避感情に負けている。
経済活動ペナルティ?懲罰?MMTが目指す方向の真逆やけど、事実上そうなっていそうだな。
退蔵防止策としてなら脅しには効く。
さて、一体何なんだ?
退蔵防止の脅しだけだ。プラス、意味不明な経済活動への懲罰、冷やし水(短期的にインフレ退治には効くらしい)。

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475 2025/05/01(木) 16:24:40 ID:BT25titrZo
私の理論は、最早経済成長は価値に非ず。中身のない経済成長は追い求めない。暮らしやすく質が高まる定常化社会を目指すべきだと言うものだ。

反対に、MMTは経済成長神話から抜け出せていない思想だ。私はある程度の退蔵は全く構わんと思う。経済成長第一主義ではないからな。バブルの頃は、借金しない奴はバカだと言われ、貯蓄はバカにされたものだ。金を借りるのが得だとされていた。変われば変わるものだ。
退蔵は、円は信じるが政府は信じないという不信感の現れなのかも知れないが、だったらインフレなどでおびき出さず、政府への信頼回復に務めるが本筋。

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476 2025/05/01(木) 17:54:23 ID:BT25titrZo
現預金1.7兆円に達した信越化学工業。こんなんばっか。

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477 2025/05/01(木) 19:37:49 ID:BT25titrZo
退蔵するってことは、円の価値を信じすぎている証拠やから、税金でわざわざ強化し、貨幣価値を忘れさせまいと頑張る理由にはならん。減税はいいことや。購買権を市中から奪うな。
私は現在は政治経済の危機的変調をグローバリゼーションがあぶり出したと見ているが、この危機を、規模から質への転換の機会にせなあかん。いまだに規模を追うから、国債に頼り、税金を取りまくり、資本市場に期待する。全部考えをリセットせなあかん時期や。最小財政支出、財政支出の中身こそ吟味。減税しまくり。公的価値実現審査恩賞制で減税プレミアム付与や。民間投資、民間消費、財政支出で公的価値を実現するのが質の高い社会や。

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478 2025/05/01(木) 20:28:46 ID:BT25titrZo
貨幣現象で社会をどうこうできる範囲はせいぜい火加減と規模だけや。なんも考えないバカの尺度や。そんなんじゃ社会は良くはならん。質の社会は頭と知恵をフル回転や。本当の幸せを追い求める人に万人がなる。何のために生まれてきたんや?規模のためやないやろ。火加減を見るためやないはずや。

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479 2025/05/02(金) 08:37:25 ID:UJgvvEVjmQ
幸福のためにお金を使おう。幸せになるためにお金を使おう。それが、恩送りであり、喜ばせ合いの貨幣交換の真の姿だったはずじゃないか。貨幣退蔵を心配してムチを振るう税金であっていいはずがなかったんだよ。貨幣は、褒美、相手を褒め称えるコミュニケーションだったはずだ。
社会的交換理論ならそう言う。ってか、それが人類社会。

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480 2025/05/02(金) 08:54:17 ID:UJgvvEVjmQ
公たる政治はこの方向に舵を切るために率先して貨幣の褒美化を立て直さねばならない。それが、公的価値実現審査恩賞制なのだ。世の中の価値観をひっくり返し、実物、労務、知恵の経済を貨幣が支え、称える設計デザインを取り戻さねばならない。
貨幣が褒美であることを社会に常に思い出させるシステムデザイン。あなたの手にある貨幣は、誰かに褒美を与える権利でもある。

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481 2025/05/02(金) 11:44:11 ID:UJgvvEVjmQ
国民のニーズには関係ないのが財政支出なことはバレている。中身を問わないのが財政支出という生貨幣投入儀式。生貨幣自体、本当は要らない。既に市場は自走しているからな。燃焼中の窯に種火は要らないんだよ。要らない種火の中身をしかめつらしく吟味するふざけた舞台が政治だよ。
種火が必要な理由は、公務員給与と、子飼の公共事業者の売上確保だよ。入札で偽装された政府に飼われた子分の扶持米だ。

明治時代初期ならまだしも、貨幣経済がこれだけ成熟した経済に種火は本当に必要なのか?景気対策だ、産業育成だ、少子化対策だ、高齢化対策だと名目は多彩だが、インフラメンテナンスもままならない行政が民の必要を先回りして満たし、解決している姿が見えない。官は国家内ミニ社会主義国家だよ。ニーズに疎いあの社会主義だわ。

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482 2025/05/02(金) 12:40:23 ID:UJgvvEVjmQ
政治家は、自動運転モードなのにコックピットに座って操縦桿を握りしめて脂汗かいているいるパイロットみたいなものだ。責任を取らされるためだけに座っているくせに国を誤る余計なことをする。尚且つ責任らしい責任は取らない。
LGBTQ利権やら、中国製太陽光パネル普及促進再エネ利権など、財政支出は政治家の利権乱立の具。議席再生産工場でもある。
こういう政治は直ちにぶっ壊さねばならない。

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483 2025/05/02(金) 19:00:04 ID:UJgvvEVjmQ
国債なき時代の生貨幣は何だ?金に裏付けられた兌換紙幣だ。生貨幣は種火なんだから、燃焼している市場にしょっちゅう焚べる必要性もあるまい。

MMTが主張するように、実物、労務提供は、政府の必要のためではなく、貨幣供給が主目的で、貨幣制度の維持、安定のために必要だとするなら、政府は燃焼中の市場のために国債を発行し、バブルやインフレが形成されないように税金を取るわけだな?政府の必要は二の次三の次、なんならなくとも構わない。中身や必要を吟味する必要がないならば、政府の組む予算は何と気楽なものだろう。ハナホジで、デスクに足を乗せながら片手間に出来そうだ。

ってか、バブルや、インフレ予防したいなら国債発行するなよ。マッチポンプやないか。インフレ予防だけが税金の目的なら、デフレの際には無税にすればよいのに毎年しこたま取ってるだろ。


種火が毎年必要なワケがないやろ。燃焼中やで。明治時代に一回やっとけ。それともなにか?年単位で火力は必ず減衰し、放っておけば自然鎮火するものなのか?毎年必要なのは公務員給与くらいだろ。税で食っている公共事業者も種火が命綱かも知れんが。そんなお仲間扶養だけが財政支出なんやな。

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484 2025/05/02(金) 21:39:08 ID:UJgvvEVjmQ
個人が徴税主体化する時代は、この貨幣納を個人が模倣する時代だ。貨幣納は共有擬制を建前とする幻想であり、みんなの国という虚構を作り出す道具立てだったが、この物語が嘘臭くなると、個人が同じ幻想ならこっちの方が確かじゃない?と詐欺を働く隙が生まれる。より貢ぐに甲斐のある対象としてセルフプロデュースし始める。推しというやつだな。

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485 2025/05/03(土) 05:03:50 ID:6v.4m09XVc
貨幣納税とは何かと社会的交換論の見地から言うなら、それは、共同幻想装置である。
にほんでは、明治新政府から始まり、国民皆兵常備軍や、国家公務員採用試験などと同じく、国民全員負担思想によって近代国民国家を成立させるに不可欠な共有詐欺にほかならず、これにより、「国民」が誕生した。近代国家装置の幻想部分を担うから、乗っ取りやすく、幻想部分の変形バリエーションも豊富だ。
担税対価を寄越せとなると、民主制を引き寄せ
共有詐欺が行き過ぎれば共産主義にまで高まる。
全員負担性が強調されるなら、全体主義に変態可能だ。
貨幣納税部分の共有詐欺の恐るべきインパクトは侮れない。
この幻想部分がヘタり弱った敗戦後のアノミーが、パンパンガールを生み出し、トチ狂った国家自身もRAAなる性奉仕のお役目を公式に生み出したのだという理解が正しく、共有詐欺乗っ取りが現代の徴税主体の個人化の正体であったと結論づけるのが、この論考の大事なゴールだ。貨幣納税という幻想の罪深さを真に社会学的に分析するなら、この奇抜なる結論に至らざるを得ない。一体誰が、この事実に気づけるだろうか?MMT的な理解に踏みとどまるなら、この荒涼たる真実の景色は眺められまい。

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486 2025/05/03(土) 12:03:15 ID:6v.4m09XVc
国民皆兵常備軍や、国家公務員採用試験は、入札や兵役検査と同じで、実質徴税の範疇だから勘違いしないように。
貨幣納税だけが、共有詐欺であり、共同幻想装置の核心部である。
実質徴税とは、必ず役務であり、役人の語源は、役務を負う人、即ち真の意味で納税貢献する立場の人物を指す。
大和朝廷で言えば、部民制や氏姓制度で朝廷に奉仕する人々を指し、ある意味エリートであり、ステータス、特権との関係から身分制に直結する。蔵人、検非違使、中納言などの令外の官やら、穢多非人の元なる餌取者や五色の賤なる陵戸まで含むのが、現代で言うところの「役人」の本義である。公務員こそが真の納税者であり、徴兵制なき現代において大多数の国民は納税者ではない。
そんな馬鹿な…を埋め合わせる幻想装置が、貨幣納税なのだが、この原理をきちんと説明できている研究者は一人もいない。共同幻想を提起した吉本隆明ですら、共同幻想発生装置は、神話的物語言語だ、とし、言葉の先の共有詐欺=貨幣納税には全く気づいてはいなかった。

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487 2025/05/03(土) 16:10:40 ID:6v.4m09XVc
役こそが徴税
役(エキ)
強制的に労働を割りあてる。 「 《 エキ 》 役丁 ・役夫 ・課役 ・苦役 ・使役 ・懲役 ・服役・軍役 」
労働を与える=徴税=雇用
なるがゆえに、国家は完全雇用にこだわり、雇用代行者としての企業を頼る。企業が雇用を代行する意味は、民間雇用もまた、国家事業の延長としての意味を担うことを表し、故をもって疑似貨幣納税としての利益を民間に譲り渡す仕儀に至った。簡単に言えば、企業の利益は、国家の税金の分配物という構図。勿論税金は税に非ずだから、これは、フィクションとしての構図に過ぎないが、企業は、利益以前に国家を模倣して雇用という本物の徴税を代行しているから、フィクションには裏付けがあってのことである。企業もまた、利益を上げることの中で共有詐欺を容認された存在なのだ。

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488 2025/05/03(土) 19:45:26 ID:6v.4m09XVc
簡単に言えば、企業の利益は、国家の税金徴収権の分配物という構図。勿論税金は税に非ずだから、これは、フィクションとしての構図に過ぎないが、企業は、利益以前に国家を模倣して雇用という本物の徴税を代行している。フィクションには裏付けがあってのことなのである。企業もまた、利益を上げることの中で共有詐欺を容認された存在なのだ。企業が共有詐欺を働くのは誰に対してか?
企業に貨幣納税しているのは社員であるが、社員達が総力を上げて販売や取引から利益を掻き集めている体を取っている。取引関係、消費者が税金を払っているスタイルなのか?いや、社員は売上を上げているのであり、会社側にコスト以外の全てを社員に還元しろと迫らぬことで利益という名の税金を会社に支払っているとも取れる。これは、両義的なもので、国家が会社に譲渡した徴税権は、社員の労働という実質的徴税権を基礎に、社員からの貨幣納税も容認し、取引先ステークホルダーからの貨幣納税をも許している。社員は、実質納税もしているから共有詐欺など必要なさそうだが、愛社精神や忠誠心に溢れる社員は貨幣納税で共有詐欺にかかることにも甘んじる。一方、取引先顧客ステークホルダーは、共有詐欺にかかる必要はなさそうそうだが、サプライチェーンで
同じビジネスの釜の飯を食む仲間としてガッチリ運命共同体をなしたり、熱心なファン、リピーター消費者として商品を支持することを通して共有詐欺にかかるのだ。

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489 2025/05/03(土) 21:06:56 ID:6v.4m09XVc
国家を模倣し、その共有詐欺、共同幻想を乗っ取る企業の秩序ある増殖が、会社制社会を構築したのが20世紀であったが、21世紀には個人がトクリュウ的に共有詐欺を乗っ取ることが可能になった。この現象が意味するのは、個人のパワーバランスの増大でもあるが、公の失権、失墜である。慶賀すべきことと評価されてばかりはいられない。かつては市中に溢れた日常の貨幣争奪(金稼ぎ)や、そこへの企業参入は、ともすれば国家奉仕、全体主義にも連なる勤労の意味すら帯びた時期さえあったものだが、もはや、影も形もなく、私利私欲の全面展開で、公が政治からも消滅しつつある。政治も公を語れない。グローバリゼーションもそれに追い打ちをかける。なぜなら、公の輪郭、境界が曖昧化し、税金を海外に配るという共同幻想の崩壊が始まったからだ。他国籍海外在住親族への保健医療提供などに至っては、際限なき国家の流亡だろう。滅茶苦茶である。

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490 2025/05/04(日) 06:29:42 ID:BedRtyZvRM
一億総「今だけ金だけ自分だけ」が、現代日本。
上から下まで染め上げられたが、なかなかの表現だ。
今、金、自分。
対するに
未来と歴史、実物、他者、公を完全に失念、これは歴史上初めての時代ではなかろうか?社会が成り立たない条件が見事に揃った。多分日本は80年前に滅亡したのだろう。ゾンビとして彷徨っていただけのように思える。

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491 2025/05/04(日) 07:09:16 ID:BedRtyZvRM
貨幣倒錯症状の一つがベーシックインカム。
別スレ「ベーシックインカムは実現しないのですか」から

005 2025/05/04(日) 05:58:20 ID:BedRtyZvRM
実現しません。貨幣なき世界でBIが成り立たないからです。貨幣なき世界で思考実験してみれば、BIの不可能性は明らか。誰か一部の者だけが、なぜか実物や労働(他者のためだけの仕事)を提供し続ける社会の成立、持続可能性を想像してみてください。負担する一部は一体誰?奴隷?貨幣が隠蔽する社会の成立要件を雑に扱ってはなりません。社会は、交換ネットワークでしかありえず、せっかく万年かけて他者のための労働がおびき出せた歴史をなめたらいけません。
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006 2025/05/04(日) 06:49:53 ID:BedRtyZvRM
カナダやフィンランドのBI実験と称されるものも
ろくな実験じゃないな。失業手当と変わらんし、目的が再雇用じゃ、何をかいわんや、岩屋大臣だよ。
結果評価の雇用効果微妙なのは当たり前。幸福度、ストレス軽減はやるまでもない。
そもそもBIは失業対策目的に過ぎないのかな?移民にも資格があるなら亡国政策だよ。働かない移民ウェルカム政策が成り立つはずがない。

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492 2025/05/04(日) 08:41:57 ID:BedRtyZvRM
役人と公共工事請負業者は、ある意味真の徴税負担者として他者のためだけの労働者代表だろう。BIは、彼ら以外の一切が世の中から労働を引き上げたとしたらシミュレーションみたいなものかも知れん。大和朝廷時代イメージだ。人々は、自分たちのためだけに仕事をする自給自足。確かに忙しさはかなり軽減されよう。他者との関わりも最低限で済むから、縄文時代さながらの暮らしぶりもあちこちに残存できていただろう。間違いなく貨幣経済はなくなる。にもかかわらず、ベーシックインカムなので貨幣だけは散布される。これは意味があるのかないのか?ちょっと考えれば分かることを誰も考えず、それぞれの思惑を乗せて打算を働かせるこの時代こそ、今、金、自分時代の焼きの回り方を表している。

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493 2025/05/04(日) 08:51:18 ID:BedRtyZvRM
いっそ貨幣など廃止して、母系制妻問婚社会にしたほうがまともに暮らせるだろう。セックス資本主義だ。セックスのためにだけ人類の半数たる男が働く。労働する。女は仕事はするが労働はしない。男の組み立てた徴税秩序が壊れたなら、最後はこれしかねーべ、というのが、結論じゃないかな?個人が徴税化する時代から読み取るべきはやはり、行き詰まったら帰る場所は、母系制社会だろ。というメッセージや。意外に話は脱線してはいなかったという素晴らしい着地。ブレねーな。オレ。

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494 2025/05/04(日) 16:48:35 ID:BedRtyZvRM
母系制妻問婚社会の導入は、少子化対策にダイレクトに効く。どんなルートで実現するかについては、遊郭方式が有効かも知れん。豊臣秀吉みたいな天才政治家が現れないと無理だが、性風俗を出産、子育て拠点化する構想だ。セックス資本主義による労働の性役割化。
国営RAAを設置した日本政府なら出来る。結婚したくなく、子作りに全く関心がなくてもセックスには興味が高く、大好物な人類には、快楽と子作りの分離がお似合いだ。これぐらい大胆な革命的アイデアでなくては、少子化は止まるまい。
個人の徴税主体化や、夫婦別姓、同性婚、赤ちゃんポスト東京進出などの諸現象から洞察される帰着先には、性風俗のシングルマザーを起点とした母系制妻問婚社会への読み替えが解として現れて来る。

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495 2025/05/05(月) 19:32:06 ID:QbVuLZJiDs
父系制徴税秩序が貨幣経済によって自壊したことを文明論的に論証できたような気がする。
一時は貨幣経済を上手く乗りこなせていたように思えたのだが、貨幣経済は舐めちゃいけなかったな。とんだ獅子身中の虫であったわい。

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496 2025/05/06(火) 00:10:33 ID:xZhWu9Uyo6
>>495
笠地蔵の二番煎じ乙
女語りで発散する、独り言の長い喪男

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スレッドタイトル:闇の女パンパンガールのいた街角

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