近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ


▼ページ最下部
001 2023/02/22(水) 04:01:10 ID:gUqleeTtgI
https://sekainorekisi.com/japanese_history/%E5%88%97%E5%...
明治元年は1868年1月25日 – 1869年2月10日
明治時代は海外ネタメインで、国内ネタは江戸時代(マイナス年号)や大正期~昭和20年あたりまで
なお 旧暦→明治改暦 とか 0年という年は存在しない 件もあるので1年ぐらいのズレは気にしない事にする

では最初に
明治-40年 化政文化 江戸時代後期に発展した町人文化:浮世絵、歌舞伎、天保の改革、遠山の金さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E6%94%BF%E6%96%...

返信する

※省略されてます すべて表示...
099 2026/01/23(金) 04:25:54 ID:zetRnKPRD6
>>98 
ベトナムは「経済」だけを近代化した。
インドネシアは「制度」を近代化したが、運用に苦労している。
エチオピアは「統合」を急ぎ、混乱に陥った。

エチオピア:地方軍閥から「国家連合」への模索 アフリカのグローバルサウスのリーダー格であるエチオピアも、古い軍事政権の解体と近代化に挑んでいます。
アビィ・アハメド首相による「繁栄党」の結成と、地方軍閥の統合。 民族ごとに「藩」のように分かれていた武装組織を、一つの国民政党と国軍に統合しようとする試みです(現在も途上ですが、大きな転換点です)。「過去の対立」を精算し、周辺国(エリトリア)との和解を進めることで、エネルギーを国内開発に集中させ、「民主化の希望」と呼ばれましたが、現在は厳しい現実に直面しており 2026年6月に総選挙を控えていますが、ティグレ、アムハラ、オロミアといった各地方での内戦や混乱が続いており、「自由で公正な選挙」が行えるか極めて危うい状況です。

返信する

100 2026/01/27(火) 05:08:36 ID:ArSg7X6EdU
第一次世界大戦って何で起きたの?
三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア) ドイツがフランスを孤立させるために結んだ、軍事的な相互援助体制
三国協商(イギリス・フランス・ロシア) ドイツの急速な台頭(海軍力の強化や植民地拡大)を恐れた3か国が、協力して対抗するために結成
帝国主義時代はアフリカやアジアなどの植民地をめぐっても激しく対立していた世界規模の利権争い
もし一国が戦争を始めたら、同盟国として参戦せざるを得ない」という連鎖ができていたため、サラエボという一地方の事件が大戦へと発展
(お互いに攻撃受けたら絶対に参戦しますよって約束で本来ならこれで戦争は抑止出来たけどどっちが先に手出したかよく分からん紛争を切っ掛けに戦争が始まってしまい他の国も同盟だからしゃーないって参加することになって他の連中も全員同盟の参戦ルールが発動して世界レベルの戦争になった)

返信する

101 2026/01/27(火) 05:10:51 ID:ArSg7X6EdU
>>100
当初、イタリアはドイツ・オーストリアと「三国同盟」を結んでいましたが、開戦時(1914年)には「この戦争は同盟義務が生じる防衛戦争ではない」として中立を宣言し「未回収のイタリア」問題の為に翌年宣戦布告し連合国の一員として多大な犠牲を払って戦いましたが、1919年のパリ講和会議で米大統領ウィルソンが提唱した「民族自決」の原則が優先され、イタリアの期待は裏切られ領土獲得は認められませんでした。国民はこれを「裏切られた勝利」と呼び、政府への不満を募らせました。この社会不安が、ファシズムを掲げるムッソリーニの台頭を招く直接的な原因となりました。

日本は日英同盟に基づき、開戦直後に連合国側として参戦しました。これは、ヨーロッパの主戦場から離れた東アジアや太平洋におけるドイツの権益(青島や南洋諸島)を獲得することが主な目的でした。

当初は中立だったオスマン帝国とブルガリアは同盟国側への参加し、アメリカ合衆国も当初は中立を保っていましたが、ドイツによる無制限潜水艦作戦(中立国や民間の船も無差別に攻撃する)や、メキシコにアメリカへの攻撃を促す「ツィンメルマン電報事件」をきっかけに、1917年に連合国側として参戦し、戦局を決定づけました。

返信する

103 2026/01/31(土) 16:11:40 ID:3AQDLyqgfc
>>92
薩摩長州土佐肥前といった藩閥による独裁政治だった当時
1873年(明治6年)の徴兵令の告諭の中に「血税」という言葉があったため、当時の人々は「本当に生身から血を絞り取られる」と誤解し、西日本を中心に「血税一揆」と呼ばれる激しい暴動が起こりました。
士族(元武士): 「農民と同じ兵隊になれるか」という特権意識から徴兵制に反対し、これが士族反乱(西南戦争など)の一因にもなりました。
平民(農民): 働き盛りの若者を数年間も奪われるのは、家計にとって大打撃でした
日清戦争(1894年)初の大規模な近代戦争での勝利により、兵役を「国民の栄誉」とする価値観が浸透し始めました
日露戦争(1904年)で「国民皆兵」が定着するまでには、約30年にわたる政府と国民の攻防がありました。

返信する

104 2026/02/11(水) 18:35:25 ID:cCGAO.nHXs
>>89
オランダ独立戦争(八十年戦争)におけるスペインからの独立は、宗教的な対立のみならず、圧政や重税に対する反抗という脱権威主義的な側面を持っていました。
この過程で成立したカルヴァン派主導の社会やその政治思想は、後の名誉革命やアメリカ独立、フランス革命などの近代市民革命の先駆けとなり、民主主義や自由主義の形成に多大な影響を与えました

『提督の艦隊』2015年 https://www.youtube.com/watch?v=DmZIbI8gHY...

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:155 KB 有効レス数:100 削除レス数:4





歴史掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)