闇の女パンパンガールのいた街角
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戦後の焼け跡に公娼よりも早く現れた街娼たち。洋装文化をいち早く採り入れ、官庁街や銀座のOLを始め、わざわざ東北の教員までが立ちんぼになった時代があった。肉体の門の世界だ。貧困ではなく、戦災未亡人でもなく、なにゆえ女達は身体を鬻いだのか?


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共有不在時代の似非共有ビジネス
シェアエコノミー
クラウドサービス
クラウドファンディング
SNS
カーシェアリング、ライドシェア
シェアオフィス
クラウドワークス
Airbnb
Fantia
ライブチャット
地域通貨
仮想通貨
推し活、パパ活、ホス活、ギャラ飲み。
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いかなる体制も共有、公益、公共には目もくれない。
愚かなり、人類。
われわれは、なぜこんなもの(国家、民主主義、資本主義、共産主義)にすがって生きていけると信じてきたのだろうか?誰も問題に気が付かなかったのは、公益不在がやり過ごせるくらいに私的生活空間に退避できてきたからではなかろうか?余裕があり、私生活を隔離防衛できる程度には共同体残滓が守ってくれてきた。
愚かなり、人類。
われわれは、なぜこんなもの(国家、民主主義、資本主義、共産主義)にすがって生きていけると信じてきたのだろうか?誰も問題に気が付かなかったのは、公益不在がやり過ごせるくらいに私的生活空間に退避できてきたからではなかろうか?余裕があり、私生活を隔離防衛できる程度には共同体残滓が守ってくれてきた。
陰陽五行思想ではないが、男税、女税、陰陽相合わさってこそ、初めて一つの全き徴税が円かに完成を見る。
政治を変えたくば税体系を根本的に変えなければならないのに、民主主義も、共産主義も、税体系にまでは踏み込まなかった。
税体系の本質的な問題、即ち、共有、公、公共の不在をみて見ぬふりをし続けてきた。資本主義にいたっては、無税、無政府をおずおず提案し、不在ならばなくしちゃえばいいじゃないかと嘯く始末。
民主主義のたちが悪いのは、選挙で、政権交代で、政治家の思想や能力で、政治が変わり、問題が解決出来ると信じ込み、何の対策も打たないことに慣れてしまう点だ。
政治を変えたくば税体系を根本的に変えなければならないのに、民主主義も、共産主義も、税体系にまでは踏み込まなかった。
税体系の本質的な問題、即ち、共有、公、公共の不在をみて見ぬふりをし続けてきた。資本主義にいたっては、無税、無政府をおずおず提案し、不在ならばなくしちゃえばいいじゃないかと嘯く始末。
民主主義のたちが悪いのは、選挙で、政権交代で、政治家の思想や能力で、政治が変わり、問題が解決出来ると信じ込み、何の対策も打たないことに慣れてしまう点だ。
資本主義の成長が止まり、市場が公益を食い尽くし始めた。或いは人新世の環境変造が耐久限界を突破、生態系の報復が始まった。
見失われた公をどうすれば取り戻せるのか、遅まきながら人々が問題意識を高めつつあるのは感じ取れる。公なき政治の行き詰り、政治の不可能性は、最終形態だとされてきた民主主義の危機としても認識され始めた。
再生のためには原点回帰が必要だ。そして、最初から公はないがしろにされていたにも関わらず、なぜ、今になって危機が開始され、今までの長きにわたり認識すらされてこなかったのかを問わねばならない。
一つは安全シェルターとしての共同体残滓や家族、家庭だ。
見失われた公をどうすれば取り戻せるのか、遅まきながら人々が問題意識を高めつつあるのは感じ取れる。公なき政治の行き詰り、政治の不可能性は、最終形態だとされてきた民主主義の危機としても認識され始めた。
再生のためには原点回帰が必要だ。そして、最初から公はないがしろにされていたにも関わらず、なぜ、今になって危機が開始され、今までの長きにわたり認識すらされてこなかったのかを問わねばならない。
一つは安全シェルターとしての共同体残滓や家族、家庭だ。
庶民の暮らしは、思いの外、政治権力者達が繰り広げる狭い権力機構内の政争や権力闘争とは無縁に粛々と営まれるものだ。庶民が戦に駆り出されるわけでもない時代が長らく続いてきた。政治に無関心(Political apathy)な国民は、何も現代に限った話ではない、というのは置いておいて、退避シェルター(共同体)崩壊説を見てみよう。
日本の場合には、それ以前、80年前の敗戦ショックにより、早くも国家による「公共」の維持の失敗が顕になり、負担を個人に押し付けるようになった。パンパンガールが自由に酔った時代だ。
敗戦という出来事は、国家の存在根拠、レーゾンデートルの最大の危機だ。だが、日本人は戦前、戦中から既に「政治は世事ならず」の緩やかなアパシーにあり、敗戦は、重苦しい戦時動員からの解放や抑圧的統制の解除と受け取られた。
政治の不可能性が顕著に露呈されたのに、GHQという共有すべき何ものもない支配者の占領統治下に導入された民主主義は、人々に、この新しい政治なら、われらの政治、公ある政治、公共の復活ができるのじゃないかとの希望を抱かせた。
敗戦という出来事は、国家の存在根拠、レーゾンデートルの最大の危機だ。だが、日本人は戦前、戦中から既に「政治は世事ならず」の緩やかなアパシーにあり、敗戦は、重苦しい戦時動員からの解放や抑圧的統制の解除と受け取られた。
政治の不可能性が顕著に露呈されたのに、GHQという共有すべき何ものもない支配者の占領統治下に導入された民主主義は、人々に、この新しい政治なら、われらの政治、公ある政治、公共の復活ができるのじゃないかとの希望を抱かせた。
引き続く高度経済成長に物心癒された反面、公害の出現は、ネガティブな公に苛まれる負の側面を知らしめた。交通戦争、受験戦争、就職戦争という言葉も踊り始める。政治経済の不調法は、世事を脅かす政治の暴力を思い起こさせるに十分だった。
さらには、経済成長の成功こそが、全国隅々にまでわたる伝統的共同体残滓を一掃することになり、戦がなくとも政治は世事を壊すのだと理解された。それに続いたのが学園紛争だ。若者は「止めてくれるなおっ母さん」と、家族を振り切るダンディズムに酔ってみせた。安全地帯は徐々に削られ、全学連から赤軍派、日本赤軍、革マル派、中核派などの過激派が派生し、反米、反米帝を掲げた反体制暴力革命ごっこに興じた。つまるところ、暴力の共同体に依拠してお祭り騒ぎに燃焼し、自傷メンヘラみたいに共有、共感の不在に慟哭する小児病だった。オウム真理教もまた、幻想の共有の楽園回復の為にテロを用いたメンヘラ宗教であったろう。彼らは総じてぬくぬく安全で幸福な共同体復古主義への飢えに衝き動かされた反抗期メンヘラ自傷暴徒集団と括り出せる。
さらには、経済成長の成功こそが、全国隅々にまでわたる伝統的共同体残滓を一掃することになり、戦がなくとも政治は世事を壊すのだと理解された。それに続いたのが学園紛争だ。若者は「止めてくれるなおっ母さん」と、家族を振り切るダンディズムに酔ってみせた。安全地帯は徐々に削られ、全学連から赤軍派、日本赤軍、革マル派、中核派などの過激派が派生し、反米、反米帝を掲げた反体制暴力革命ごっこに興じた。つまるところ、暴力の共同体に依拠してお祭り騒ぎに燃焼し、自傷メンヘラみたいに共有、共感の不在に慟哭する小児病だった。オウム真理教もまた、幻想の共有の楽園回復の為にテロを用いたメンヘラ宗教であったろう。彼らは総じてぬくぬく安全で幸福な共同体復古主義への飢えに衝き動かされた反抗期メンヘラ自傷暴徒集団と括り出せる。
高度成長期を境に、日本の社会は急激に変貌し、共同体を支えてきた多様な要素が消え去った。
山窩やアイヌ語話者の文化が消滅したのもこの時期だ。農村での「結」や「寄り合い」、地域金融としての「講」や「無尽」、長屋での近隣交流、夜這いの風習、拡大家族、家内労働、そして地域ごとの祭りや伝統文化といった共同体の残滓が失われた。
たとえば、田植えを共に行う「結」は機械化で姿を消し、村落ごとの獅子舞、田楽、村歌舞伎といった芸能は担い手不足で途絶えた。また、乱交要素を含む古式盆踊りも、都市化やモラル観の変化で消滅し、村落ごとの鍛冶や機織りなどの職人技術は大量生産に取って代わられた。長屋の井戸端会議はマンション暮らしに変わり、相互扶助の精神も銀行や保険に置き換わった。
この変容は家庭内部にまで及び、役割や関係性の崩壊、液状化が進み、非婚や少子化が加速。公益を支えたセーフティネットが崩れ、個人は無防備に社会に投げ出された。個人主義的価値観はそれを肯定し、政治における公の不在は、意識すらされることなく、反抗期自傷メンヘラ暴徒も徒党は組まず、ジョーカー化したかに思えた傍らで、共有詐欺に絡む事件が頻発。
公が足りない。公はいずこ?共助は?共有は?今だけ金だけ自分だけで良い訳がない!と騒ぎ始めた。
山窩やアイヌ語話者の文化が消滅したのもこの時期だ。農村での「結」や「寄り合い」、地域金融としての「講」や「無尽」、長屋での近隣交流、夜這いの風習、拡大家族、家内労働、そして地域ごとの祭りや伝統文化といった共同体の残滓が失われた。
たとえば、田植えを共に行う「結」は機械化で姿を消し、村落ごとの獅子舞、田楽、村歌舞伎といった芸能は担い手不足で途絶えた。また、乱交要素を含む古式盆踊りも、都市化やモラル観の変化で消滅し、村落ごとの鍛冶や機織りなどの職人技術は大量生産に取って代わられた。長屋の井戸端会議はマンション暮らしに変わり、相互扶助の精神も銀行や保険に置き換わった。
この変容は家庭内部にまで及び、役割や関係性の崩壊、液状化が進み、非婚や少子化が加速。公益を支えたセーフティネットが崩れ、個人は無防備に社会に投げ出された。個人主義的価値観はそれを肯定し、政治における公の不在は、意識すらされることなく、反抗期自傷メンヘラ暴徒も徒党は組まず、ジョーカー化したかに思えた傍らで、共有詐欺に絡む事件が頻発。
公が足りない。公はいずこ?共助は?共有は?今だけ金だけ自分だけで良い訳がない!と騒ぎ始めた。
高度経済成長期には、会社もまた、伝統的共同体に入れ替わるように人々の日常の共有体験を構成する装置として普及したが、バブル崩壊後、新自由主義と金融資本主義により、擬制的所有の手に落ちてしまったのは、既述の通り。
おまけに、海外バラマキ支援体質に加え、移民問題は、フリーライド許容や外国人優遇政治の不可解な挙動を表面化した。
税金を払っているのに公がないとは一体どういう事かと、怒りを込めて問題視するに相応しい機は熟したのだと言えよう。
おまけに、海外バラマキ支援体質に加え、移民問題は、フリーライド許容や外国人優遇政治の不可解な挙動を表面化した。
税金を払っているのに公がないとは一体どういう事かと、怒りを込めて問題視するに相応しい機は熟したのだと言えよう。
いまひとつ、大事なことを忘れている。神様である。私的生活空間の最奥に、信仰という退避シェルターが存在し続けてきたことの意味を忘れてはならない。
つまり、我々の傍らには宗教的な真実の再分配、信仰上の共有、女税を中心とした精神世界の公、公共、公益が寄り添って来たのだ。西欧社会には教会が、日本社会には天皇制が、現実政治世界の公の不在を補い、隠蔽されて行方不明にされた共有の確かなありかを指し示して来た。
それらがリアルな権力から離れ、純粋な理想を保とうと図ったには意味があり、信仰上の女税が権力構造に紛れては、真正なる共有を再び喪失することになるからである。かぐや姫は誰かの私物になることなく月に帰らなければならなかったのだ。
つまり、我々の傍らには宗教的な真実の再分配、信仰上の共有、女税を中心とした精神世界の公、公共、公益が寄り添って来たのだ。西欧社会には教会が、日本社会には天皇制が、現実政治世界の公の不在を補い、隠蔽されて行方不明にされた共有の確かなありかを指し示して来た。
それらがリアルな権力から離れ、純粋な理想を保とうと図ったには意味があり、信仰上の女税が権力構造に紛れては、真正なる共有を再び喪失することになるからである。かぐや姫は誰かの私物になることなく月に帰らなければならなかったのだ。
南北朝時代に、斎王制、斎宮が畳まれたことは、天皇親政の断念と共に天皇が現実政治から完全引退したがゆえに、斎王制が必要では無くなったからだ。即ち逆に言うなら、天皇の象徴化がここに完成をみたことで人知れず公が守られた。
これは、結論部分は歴史学方面でも通説だが、斎王制の本当の意味にはたどり着いてはおらず、ただ、「天皇が直接神と繋がることを避けるための媒介役=斎王」という理解に留まっての解釈だ。なぜ天皇が直接神と繋がるを避けねばならなかったのか、そんな決まりがあったのかはかなり疑わしい。というか完全なる臆説であり、事実ではない。なぜ政治権力を放棄すると直接神と繋がれるのかも訳が分からない。歴史学者の水準の低さよ。
これは、結論部分は歴史学方面でも通説だが、斎王制の本当の意味にはたどり着いてはおらず、ただ、「天皇が直接神と繋がることを避けるための媒介役=斎王」という理解に留まっての解釈だ。なぜ天皇が直接神と繋がるを避けねばならなかったのか、そんな決まりがあったのかはかなり疑わしい。というか完全なる臆説であり、事実ではない。なぜ政治権力を放棄すると直接神と繋がれるのかも訳が分からない。歴史学者の水準の低さよ。
称徳天皇の再即位時の政治的混乱(藤原仲麻呂の乱など)に際して、斎宮は立てれなかった。
聖武天皇の娘である称徳天皇は、重祚前孝謙天皇の時、東大寺大仏開眼供養を執り行った仏教への傾倒の篤い信者であり、神仏習合を進めた天皇でもあった。恵美押勝の乱を招き、出家してから称徳天皇に重祚したほどだが、さらに宇佐八幡宮神託事件も起こして悶着した。独身子無し女帝あるあるの皇統揺動は、女帝の強い意思で収まったが、これを奇貨とし、女性天皇は、災いの元と認知され、以後女性天皇を忌避し、また斎宮と仏教の統合も図られねばならなくなり、仏教要素の強い竹取物語が、清め、浄化として描かれたというわけだ。
嵯峨野の野宮神社が竹林景勝地であること「竹」取物語と符合する。さらには斎王制の拡充を狙って平安京に斎院が成立する。
聖武天皇の娘である称徳天皇は、重祚前孝謙天皇の時、東大寺大仏開眼供養を執り行った仏教への傾倒の篤い信者であり、神仏習合を進めた天皇でもあった。恵美押勝の乱を招き、出家してから称徳天皇に重祚したほどだが、さらに宇佐八幡宮神託事件も起こして悶着した。独身子無し女帝あるあるの皇統揺動は、女帝の強い意思で収まったが、これを奇貨とし、女性天皇は、災いの元と認知され、以後女性天皇を忌避し、また斎宮と仏教の統合も図られねばならなくなり、仏教要素の強い竹取物語が、清め、浄化として描かれたというわけだ。
嵯峨野の野宮神社が竹林景勝地であること「竹」取物語と符合する。さらには斎王制の拡充を狙って平安京に斎院が成立する。
孝謙、称徳天皇は、本気で道鏡を天皇にしたかったのだろうか?確かに女帝の治世は、仏教の教えに深く感化された、慈悲深く、徳をもって世を統べる式の恩賞、恩赦、殺生禁止などが目立つ。しかし、私は孝謙、称徳の願いは、仏教国家的徳統治ではあったが、天皇に仏僧を据えることに拘ったとは思われない。国家安寧を宗教的に保証しながら、統治にも仏教の思想が生きた政治の実現であったと思う。残念ながらその理想は周りの誰一人も理解しなかった。女性天皇はやめたほうがいいね、という結論に至ったからだ。竹取物語は、仏教要素が漂うが、女性を地上権力から遠ざける話にしかならなかった。国家安寧は、斎王か保証するという復古思想リバイバルに終わった。宗教世界における調和的再分配は、仏教主導にはならなかったが、斎王制により賦活されはした。日本教が神仏習合をまとめ上げたのだ。
ただ、孝謙、称徳天皇は、間違いなく再評価されるべき女帝だ。道鏡ともども無理解な誹謗中傷、臆説に埋もれるべき人物ではない。
ただ、孝謙、称徳天皇は、間違いなく再評価されるべき女帝だ。道鏡ともども無理解な誹謗中傷、臆説に埋もれるべき人物ではない。
現存はしない女税体系としての神、その神が死んで19世紀が幕を閉じ、神なき怒涛の20世紀も終わって、GHQも遠慮した天皇制も危機に瀕する21世紀。

https://news.yahoo.co.jp/articles/78f5140dedd1ce974fe98...
救済実現希求と、返報実現希求とでは、後者のほうが遥かに難易度が高い。光明皇后は、前者を実践した。後者の歴史的事例は、現代にあっても、まだ存在しない。
まとめると、
国家はいかなる体制を取ろうとも、コモンズの悲劇からの回避策としての支配者による擬制的所有(私有権力システム)であり続けざるを得なかった。このことに、誰一人文句を言ったり、変革しようとはしなかった。
理由は、下記。
・人民は政治的に無関心だった。
・サブシステムの共同体、会社が、セーフティネットであり、安全シェルター機能を果たしたから、国家は世事の外にあって収奪しては来るものの、切実な権利侵害主体とは、認識されにくかった。
・宗教的な信仰体系が、女税としての真なる共有、公を代替表現して、現実逃避的に誤魔化してきた。
ところが、
・啓蒙主義以来の宗教世界観衰退
・共同体崩壊
・株主資本主義による会社の私有化
・グローバリゼーションによる国家溶解、海外偏重により、遂に人民催眠が解けた。
国家はいかなる体制を取ろうとも、コモンズの悲劇からの回避策としての支配者による擬制的所有(私有権力システム)であり続けざるを得なかった。このことに、誰一人文句を言ったり、変革しようとはしなかった。
理由は、下記。
・人民は政治的に無関心だった。
・サブシステムの共同体、会社が、セーフティネットであり、安全シェルター機能を果たしたから、国家は世事の外にあって収奪しては来るものの、切実な権利侵害主体とは、認識されにくかった。
・宗教的な信仰体系が、女税としての真なる共有、公を代替表現して、現実逃避的に誤魔化してきた。
ところが、
・啓蒙主義以来の宗教世界観衰退
・共同体崩壊
・株主資本主義による会社の私有化
・グローバリゼーションによる国家溶解、海外偏重により、遂に人民催眠が解けた。
国家は協力の体系の具現であらなねばならなかったのに、そのためにこそ徴税という仕組みが出現したにも関わらず、ことの最初から私物化を免れなかった現実。
コレを間近に観察することは容易であり、
会社組織(ステークホルダー資本主義とか、CSR、公益資本主義など掛け声ばかりでは、株主資本主義を覆すのは容易ではない)
政党組織(日本保守党が百田と有本の私的ファンクラブ集金システム化している体たらくに顕著だが、大抵の新党で観察可能)
など、国家類同物の不審な挙動はもちろん、個人が徴税主体化する動きを随所に観察出来る時代なればこそ、徴税という協力の体系の悪用は、目に余る程だ、というのが、パンパンガール=徴税主体論から見えてくる。いただき女子、パパ活、推し活、インフルエンサーとは何者なのかも理解できたのではなかろうか?
コレを間近に観察することは容易であり、
会社組織(ステークホルダー資本主義とか、CSR、公益資本主義など掛け声ばかりでは、株主資本主義を覆すのは容易ではない)
政党組織(日本保守党が百田と有本の私的ファンクラブ集金システム化している体たらくに顕著だが、大抵の新党で観察可能)
など、国家類同物の不審な挙動はもちろん、個人が徴税主体化する動きを随所に観察出来る時代なればこそ、徴税という協力の体系の悪用は、目に余る程だ、というのが、パンパンガール=徴税主体論から見えてくる。いただき女子、パパ活、推し活、インフルエンサーとは何者なのかも理解できたのではなかろうか?
個人による徴税主体化は止めようがない。精々騙されないように警戒することだ。
問題は、政治である。力を持ち過ぎた会社や、税金にタカる政党も同時に始末できる解決策がないだろうか?
公益資本主義やら、ステークホルダー資本主義が虚しく響き、ESGウォッシュやらSDGsウォッシュと揶揄される事態を打破し、政治なんて甘い蜜じゃありませんよと、端から政治屋を寄せ付けない解決策。殺害予告まで受けたDOGE職員率いるイーロン•マスクが、不評を買いながら、仕分けする必要のない解決策。
この先の未来は、まず、政治の抜本的な大改革が不可避だろう。
実はヒントは既に現れていた。女税であり、称徳天皇の挑戦である。
意思決定しない政治、計画しない政治、立法権をもたない政治、「単なる恩賞付与機能に特化した政治」への変質だ。人類史上初めて女税の成立を見ることになるだろう。
問題は、政治である。力を持ち過ぎた会社や、税金にタカる政党も同時に始末できる解決策がないだろうか?
公益資本主義やら、ステークホルダー資本主義が虚しく響き、ESGウォッシュやらSDGsウォッシュと揶揄される事態を打破し、政治なんて甘い蜜じゃありませんよと、端から政治屋を寄せ付けない解決策。殺害予告まで受けたDOGE職員率いるイーロン•マスクが、不評を買いながら、仕分けする必要のない解決策。
この先の未来は、まず、政治の抜本的な大改革が不可避だろう。
実はヒントは既に現れていた。女税であり、称徳天皇の挑戦である。
意思決定しない政治、計画しない政治、立法権をもたない政治、「単なる恩賞付与機能に特化した政治」への変質だ。人類史上初めて女税の成立を見ることになるだろう。
称徳天皇は、何に挑戦したのか?宗教でしか可能ではなかった返報実現希求を現実政治で具現したのだ。
天平宝字六年(762年)孝謙上皇時代に「天皇は恒例の祭祀などの小事を行え。国家の大事と賞罰は自分が行う」と宣言する。ここに言う天皇とは、淳仁のことだ。賞罰を重要視した意気込みが感じられる。
『続日本紀』によると、重祚した称徳天皇時代の768年(神護景雲2年)に、全国から9人の善行者を選び、彼らの生涯の税(田租)を免除するという表彰を行なった。
返報実現希求実現に他ならないが、救済実現希求実現も当たり前に実施している。
母親の光明皇后の悲田院、施薬院の思想をよく受け継ぎ、実践した女帝が孝謙、称徳天皇だった。「救済実現希求」は、報道ジャーナリズムにも表れると書いたが、まだしも実現は容易である。
たかが9人と言うなかれ、全国を対象に情報を集め、審査し、終身田租免除を下したのだ。
「返報実現希求」は、宗教以外ではまず成立してはこなかった。それをやってのけた世界初の政治である。
天平宝字六年(762年)孝謙上皇時代に「天皇は恒例の祭祀などの小事を行え。国家の大事と賞罰は自分が行う」と宣言する。ここに言う天皇とは、淳仁のことだ。賞罰を重要視した意気込みが感じられる。
『続日本紀』によると、重祚した称徳天皇時代の768年(神護景雲2年)に、全国から9人の善行者を選び、彼らの生涯の税(田租)を免除するという表彰を行なった。
返報実現希求実現に他ならないが、救済実現希求実現も当たり前に実施している。
母親の光明皇后の悲田院、施薬院の思想をよく受け継ぎ、実践した女帝が孝謙、称徳天皇だった。「救済実現希求」は、報道ジャーナリズムにも表れると書いたが、まだしも実現は容易である。
たかが9人と言うなかれ、全国を対象に情報を集め、審査し、終身田租免除を下したのだ。
「返報実現希求」は、宗教以外ではまず成立してはこなかった。それをやってのけた世界初の政治である。
権力を私する政治の世界に、最後の女帝は、女税の爪痕を刻んだと評価するべきところ、道鏡を絡めて貶め、災厄の女帝として排除した藤原摂関政治のせいで、われわれは、この孤立した世界初の快挙に気が付かなかった。わたしは、この女税、返報実現希求の具現の名称を「公益実現審査恩賞制」と名付けたい。公益を実現するのが政治であるが、誰が公益を実現するかは分からない。莫大な税金を使って政権必ずしも公益を実現しないのは、衆知の事実。政府には未来をつくれず拓けないが、結果を評価することくらいはできるだろう。未然の税は溝に捨てられてもヘリコプターマネー効果があるじゃないかと居直る税だ。死金を吸い上げて回す機能に後退しても威張り散らすのが男税。女税なら、政府には、できないことはさせない。能力に見合った作業しか割り当てない。それは、結果判断という已然の税だからだ。これなら、イーロン・マスクもお役御免になるだろう。
>死金を吸い上げて回す機能に後退しても威張り散らすのが男税。
何かに似ていないか?そうだよ、闇バイト強盗だよ。金がありそうな高齢者宅を襲って、或いは特殊詐欺工作を仕掛け、死金を奪い、市中に金を回すトクリュウ。政府が特殊詐欺化してしまっている。民間が金を借りないから政府が借りるわ、という国債依存経済も特殊詐欺の一種。もう限界なんだね。
何かに似ていないか?そうだよ、闇バイト強盗だよ。金がありそうな高齢者宅を襲って、或いは特殊詐欺工作を仕掛け、死金を奪い、市中に金を回すトクリュウ。政府が特殊詐欺化してしまっている。民間が金を借りないから政府が借りるわ、という国債依存経済も特殊詐欺の一種。もう限界なんだね。
未然の税が未来まで先食いして取り繕っている世界が、現状、皆が知っている男税の権力政治機構だったわけだが、その耐久性をMMTで偽装しても、何も好転はしないし、公益実現が促されるわけでもない。
公益実現は、政府の独占、専売だという虚構をいつまで信じるのか?個人が徴税主体化したって詐欺にしかならないんだから、政府だって同じだ。誰も公益、公的価値実現には関係ないのではないか?というシラケた思いに喝を入れるのが、公的価値実現審査恩賞制だ。
免税されるだけでも、企業は、動かざるを得まい。株主の所有物であろうがなかろうが、利に敏い企業なら、免税を勝ち取るために公益に動く。促される。
企業だけではない。個人でも公的価値を実現するなら、免税恩賞が得られる。全ての納税者が公平に免税恩賞機会均等な立場だ。万人が公的価値実現の主体であることこそが、真の民主主義ではなかろうか?
称徳天皇が蒔いた種が、千三百年の眠りから覚めて芽を出す時期が来たように感じる。
公益実現は、政府の独占、専売だという虚構をいつまで信じるのか?個人が徴税主体化したって詐欺にしかならないんだから、政府だって同じだ。誰も公益、公的価値実現には関係ないのではないか?というシラケた思いに喝を入れるのが、公的価値実現審査恩賞制だ。
免税されるだけでも、企業は、動かざるを得まい。株主の所有物であろうがなかろうが、利に敏い企業なら、免税を勝ち取るために公益に動く。促される。
企業だけではない。個人でも公的価値を実現するなら、免税恩賞が得られる。全ての納税者が公平に免税恩賞機会均等な立場だ。万人が公的価値実現の主体であることこそが、真の民主主義ではなかろうか?
称徳天皇が蒔いた種が、千三百年の眠りから覚めて芽を出す時期が来たように感じる。
既存省庁、行政機関は大幅に見直しが図られ、統廃合、議会機能も大胆に縮小、政治家の役割は、大風呂敷を広げたり、甘言を弄すことではなく、単なる審査評定。
ポイントは、
・税金を使途を「議論不要な基礎機能」に限定
・政治を「恩賞付与機能」「危機救済機能」に特化
・税金に群がる政治家の私物化、利権化を防ぐ
前提にあるのは、「公的機関や政府には、公的価値実現能力がない」という厳然たる事実だ。政府プロジェクトは大抵転ける。公的価値実現が出来るのは、必ず民間組織であり、人民一人ひとりである。政府には、公的価値の基準の明確化、周知、公正で透明性の高い論功行賞に専念してもらう。
ポイントは、
・税金を使途を「議論不要な基礎機能」に限定
・政治を「恩賞付与機能」「危機救済機能」に特化
・税金に群がる政治家の私物化、利権化を防ぐ
前提にあるのは、「公的機関や政府には、公的価値実現能力がない」という厳然たる事実だ。政府プロジェクトは大抵転ける。公的価値実現が出来るのは、必ず民間組織であり、人民一人ひとりである。政府には、公的価値の基準の明確化、周知、公正で透明性の高い論功行賞に専念してもらう。
このアイデアのきっかけは、宗教法人がなぜ無税なのか疑問を抱いたからだ。
どうやら、宗教法人には、公益性があるから無税らしい。宗教法人に公益性などあるか?たぶんないのだ。他にも、学校法人、医療法人、公益社団法人、公益財団法人、特定非営利活動法人、ボランティア団体、社会福祉法人、文化、芸術団体、中小企業団体など、謳い文句に公益や非営利を掲げるだけで、自治体の認定が通りやすくなり、実績や効果検証抜きに無税となる。そんなに公益に役立っているのなら、役所を減らせばよかろう。むしろ、普通の民間企業の方が遥かにもっと正確な意味での公的価値の実現に役立って来ているし、役立つ力を秘めている。私悪は公益というは、マンデヴィルの蜂の寓話である。「白河の清き流れに住みかねて元の田沼の濁り恋しき」とまで言ってしまえば、何でもかんでも公益、公益汎在論に陥ってしまうが、世の無税団体の名分たる公益は、看板倒れ、多分公益とは名ばかり。また、そこに働く人は普通に課税される。かなり怪しげな存在。
簡単に言えば、単なる脱税機関であり、税逃れの隠れ蓑どころか、公金チューチューマシンだろ、というわけで、廃絶すべきと考えた。
どうやら、宗教法人には、公益性があるから無税らしい。宗教法人に公益性などあるか?たぶんないのだ。他にも、学校法人、医療法人、公益社団法人、公益財団法人、特定非営利活動法人、ボランティア団体、社会福祉法人、文化、芸術団体、中小企業団体など、謳い文句に公益や非営利を掲げるだけで、自治体の認定が通りやすくなり、実績や効果検証抜きに無税となる。そんなに公益に役立っているのなら、役所を減らせばよかろう。むしろ、普通の民間企業の方が遥かにもっと正確な意味での公的価値の実現に役立って来ているし、役立つ力を秘めている。私悪は公益というは、マンデヴィルの蜂の寓話である。「白河の清き流れに住みかねて元の田沼の濁り恋しき」とまで言ってしまえば、何でもかんでも公益、公益汎在論に陥ってしまうが、世の無税団体の名分たる公益は、看板倒れ、多分公益とは名ばかり。また、そこに働く人は普通に課税される。かなり怪しげな存在。
簡単に言えば、単なる脱税機関であり、税逃れの隠れ蓑どころか、公金チューチューマシンだろ、というわけで、廃絶すべきと考えた。
代わりに一般企業が本当に公益価値を生み出し、提供したのなら、無税にしてもよかろうし、報奨も与えて構わない。看板や器ではなく、実績、結果に対して報いるべきであり、業績を上げたなら、所属員の活動にも報いる為に、所属員も無税にすべきだろう。実態なき無税は直ちに廃止。
すると、当然ながら、実態調査、審査にはかなりの労力を要する。その労力に意味があるとして、一体誰が担う?役人や政治家、政府のメイン業務にしてはどうか?
との、逆転の発想だ。
他のブルシット・ジョブは全て廃止。政府、役所機能の徹底的削減……と、考えていたら、足利尊氏の仕事っぷりや思想がまさに恩賞=政治だったことが判明。資本主義の無軌道に方向性をあたえるのは、これしかない。資本主義のパワフルな駆動力はそのままに、それに空疎なお題目ではなく利をぶら下げて公益実現方向に舵を切らせる。
公的価値実現が政治の真の目的であるのなら、尊氏のように恩賞に専念しても立派に政治の目的は果たしている。ほかのことは全部やめちまってもいい。人々を公益実現に駆り立てることこそが政治ではあるまいか?
すると、当然ながら、実態調査、審査にはかなりの労力を要する。その労力に意味があるとして、一体誰が担う?役人や政治家、政府のメイン業務にしてはどうか?
との、逆転の発想だ。
他のブルシット・ジョブは全て廃止。政府、役所機能の徹底的削減……と、考えていたら、足利尊氏の仕事っぷりや思想がまさに恩賞=政治だったことが判明。資本主義の無軌道に方向性をあたえるのは、これしかない。資本主義のパワフルな駆動力はそのままに、それに空疎なお題目ではなく利をぶら下げて公益実現方向に舵を切らせる。
公的価値実現が政治の真の目的であるのなら、尊氏のように恩賞に専念しても立派に政治の目的は果たしている。ほかのことは全部やめちまってもいい。人々を公益実現に駆り立てることこそが政治ではあるまいか?
国家が納税還元を忘れた税金使途を隠しもしないで大っぴらにやり、その延長線上で、国債を乱発して国家をゾンビ化する弊害、即ち、再分配構造すら無視した徴税で、国家が闇バイト化する問題が先か、
はたまた、個人が、徴税主体化し、あちこちで詐欺を働き、治安が乱れ、資本主義の暴走以上に各自が各自を互いに騙し合う社会が秩序を崩壊させる問題が先かは、分からないが、とにかく急激に「公」が損なわれ、失われていっている。そこに移民問題が追い打ちをかけて社会的カオスが原子炉格納容器化した凍結蛹内を死と腐敗に導く。
このどん詰まりを打開するルートは、「公」の再生しかありえず、政権交代でなんとか……レベルではない。地球温暖化とか、格差社会とか、資本主義の問題など消し飛ぶ本当に深刻な問題は、渦中にあっても内部の人間には自覚されないものであるようだ。
はたまた、個人が、徴税主体化し、あちこちで詐欺を働き、治安が乱れ、資本主義の暴走以上に各自が各自を互いに騙し合う社会が秩序を崩壊させる問題が先かは、分からないが、とにかく急激に「公」が損なわれ、失われていっている。そこに移民問題が追い打ちをかけて社会的カオスが原子炉格納容器化した凍結蛹内を死と腐敗に導く。
このどん詰まりを打開するルートは、「公」の再生しかありえず、政権交代でなんとか……レベルではない。地球温暖化とか、格差社会とか、資本主義の問題など消し飛ぶ本当に深刻な問題は、渦中にあっても内部の人間には自覚されないものであるようだ。

徴税主体化した個人の一例に、配信で2億以上稼ぎ、脱税で捕まった後も月600万も稼ぎ続ける岡田ゆいこと長嶋美久(40)の例を挙げたい。https://www.news-postseven.com/archives/20241126_2007821.html...
Xでは30万人ものフォロアーをもち、誘導した会員制サイトには43万人のファンがいて会費を徴収、DVDなどを販売、国家への納税は踏み倒し。権力ではないから強制しているわけではないが、特殊詐欺だって強制してはいない。食い物にはしている。もちろんこれは氷山の一角に過ぎない。https://www.news-postseven.com/archives/20250331_2032211.html...
>>372
誰も被害者いないじゃん論が湧くよね。だから、NHKですら推し活、ホス活推しなんだよ。気づかないんだ。世の中から「公」や「公的価値」が失われたことに。政治ですら「公」とは、無関係になっても、誰も気づかない。誰も被害者いないじゃん論だけがのさばる。あげくに子どもが殺されて床下や庭、公衆トイルに捨てられ、高田馬場で配信者が刺し殺される。街頭演説中に政治家が殺される。トクリュウが闇バイトに指示して住宅に押し入り強盗殺人が繰り返される。宗教が搾取するが、信仰の自由の前にフリーズする。徴税が公を生まない悲劇として、底流は同じ。ぶっ壊れた再分配と一括できる。公とは再分配であり、再分配は公なのに、再分配は権力であり、権力は再分配だと誤解され続ける。
誰も被害者いないじゃん論が湧くよね。だから、NHKですら推し活、ホス活推しなんだよ。気づかないんだ。世の中から「公」や「公的価値」が失われたことに。政治ですら「公」とは、無関係になっても、誰も気づかない。誰も被害者いないじゃん論だけがのさばる。あげくに子どもが殺されて床下や庭、公衆トイルに捨てられ、高田馬場で配信者が刺し殺される。街頭演説中に政治家が殺される。トクリュウが闇バイトに指示して住宅に押し入り強盗殺人が繰り返される。宗教が搾取するが、信仰の自由の前にフリーズする。徴税が公を生まない悲劇として、底流は同じ。ぶっ壊れた再分配と一括できる。公とは再分配であり、再分配は公なのに、再分配は権力であり、権力は再分配だと誤解され続ける。
再分配の正常化、再分配の回復が、本来の「公」を取り戻す唯一の手段。個人の徴税主体化なんぞに「公」はないんだよ。「公」を失わせたのは、男税の仕組み=未然形空約束協力体制。これを撲滅しろとは言わない。企業組織は、未然形目論見約束協力体制なのに比較的上手く機能している。利用しない手はないのだが、民主政治が模倣してはいけない。まともに政府の結果責任を問う仕組みはないんだよ。国民(納税者)=出資者、代議員=株主代表、議会=株主総会、政府=代表取締役、政権交代=取締役解任、交代……これで上手く回るとでも?会社更生法はIMFプログラムか?植民地化や征服がない以上、解散整理やM&Aは相当物はないがな。だったら、会社にもっと多くを期待しよう。頑張って公的価値実現してもらい、恩賞で応えよう。経営権の大部分を会社に譲渡するも同然。
民主政治を企業のガバナンスモデルに置き換えるのは誤り。
ただし、政府が公的価値を独占的に担うのは非効率的だし、そもそもその能力がないし、やらない。やれない。
だったら、企業の公的価値創出を最大限に引き出し、政府はそれを補完する立場に移行するべき。
しかしながら、補助金行政は単なる利権だから、禁止すべき。結果審査だけで支援する。
つまり、政府の直接的な役割は縮小し、「公的価値実現のプラットフォーム」として機能する仕組みを作るのが、「公」を取り戻す唯一現実的な方向性。
ただし、政府が公的価値を独占的に担うのは非効率的だし、そもそもその能力がないし、やらない。やれない。
だったら、企業の公的価値創出を最大限に引き出し、政府はそれを補完する立場に移行するべき。
しかしながら、補助金行政は単なる利権だから、禁止すべき。結果審査だけで支援する。
つまり、政府の直接的な役割は縮小し、「公的価値実現のプラットフォーム」として機能する仕組みを作るのが、「公」を取り戻す唯一現実的な方向性。
母系制、売春、国家の形成、斎王、天皇制、宗教、教会、女性天皇、象徴天皇、称徳天皇、足利尊氏、陰陽五行説、推し活、ホス活、イーロン・マスク、DS、株主資本主義、再分配、権力支配、民主主義、遊廓、豊臣秀吉、クルチザンヌ、女スパイ……一つながりに現代まで、何一つ無関係ではないのだが、国税庁は、税金の説明をこのスレ以上に詳しく、その本質を理解し、語れるだろうか?
財政破綻が古来、国家や帝国の興亡の第一原因であったが、国債の発明と、民主主義により、国家は倒れることなく、ゾンビ化することもできるようになった。その代わり、ゾンビ国家に生きる国民も生み出したわけで、それがどんな生き心地なのかは、例えば日本やアメリカが現在進行形で体験中だ。原子炉格納容器化社会イメージが必ずしもゾンビ化国家を意味するものなのかは、分からない。
原子炉格納容器社会は、ゼロ成長飽和定常系社会ではあるけれども、社会関係の断裂、個人化が極限にまで進んでカオス化した社会であることが、主たる特徴だ。以前提示した権力者や、職人不在のハンターだらけの社会だとも言える。
原因は異なれど、同じ社会の二つの顔なのか、原因が違うなりに異なる二つの顔をたまたま今の日本はそなえているのか。
原子炉格納容器社会は、ゼロ成長飽和定常系社会ではあるけれども、社会関係の断裂、個人化が極限にまで進んでカオス化した社会であることが、主たる特徴だ。以前提示した権力者や、職人不在のハンターだらけの社会だとも言える。
原因は異なれど、同じ社会の二つの顔なのか、原因が違うなりに異なる二つの顔をたまたま今の日本はそなえているのか。
中野剛志は、成長を取り戻す事を目的に据えて、頭でっかちな間違った結論を導いた。
私は、公を取り戻す事を目的に据えて、かなり科学的な結論を導き出したといえるのではないだろうか?
どっちの目的が正当か、どっちの結論が正しく、まともに機能するかは、歴史と現実が答えを出すだろう。だが、理論提唱者たる私には、彼の理論の目的も結論も誤りだとはっきり分かンだね。
まず、彼の現状認識が間違っている。彼は、たかだか、日本のバブル崩壊以降、或いはさらに長くレンジを取ってもせいぜい20世紀世界恐慌以降の
「経済史」しか眺めていない。私はと言えば、生物の有性生殖からこの方、人類の社会形成(互酬性の誕生)から、共同体と宗教の誕生(再分配の発生)、国家、文明の発祥(再分配の権力化)を辿って、現代社会を観察している。同じものを観察しているにも関わらず、現代が如何なる状態かの評価、認識が異なる。そりゃ、目的も解決策も異なって当然。
私は、公を取り戻す事を目的に据えて、かなり科学的な結論を導き出したといえるのではないだろうか?
どっちの目的が正当か、どっちの結論が正しく、まともに機能するかは、歴史と現実が答えを出すだろう。だが、理論提唱者たる私には、彼の理論の目的も結論も誤りだとはっきり分かンだね。
まず、彼の現状認識が間違っている。彼は、たかだか、日本のバブル崩壊以降、或いはさらに長くレンジを取ってもせいぜい20世紀世界恐慌以降の
「経済史」しか眺めていない。私はと言えば、生物の有性生殖からこの方、人類の社会形成(互酬性の誕生)から、共同体と宗教の誕生(再分配の発生)、国家、文明の発祥(再分配の権力化)を辿って、現代社会を観察している。同じものを観察しているにも関わらず、現代が如何なる状態かの評価、認識が異なる。そりゃ、目的も解決策も異なって当然。
私はこの長々とした話を、科学として記述してきたつもりだ。科学は、徒に運動を煽らない。科学は、予測し、予見する。結論を出して終了だ。
この共有喪失社会の今後は、ありありと分かる。「公的価値実現審査恩賞制以外に生き延びる道はない。以上。」
この話をすると、具体的細部の詰めやら、どうやったらそこにたどり着くことができるのかと色めき立つ者がいる。
なぜ私の科学的結論を否定したがるのかと、私は不満だ。人々が創造的で計画的、企画者でありたがり、構成的に具現化行動したがる姿は頼もしくもあるが、それこそが、現代に至るクソな政治の成立経緯ではなかったのか?
この共有喪失社会の今後は、ありありと分かる。「公的価値実現審査恩賞制以外に生き延びる道はない。以上。」
この話をすると、具体的細部の詰めやら、どうやったらそこにたどり着くことができるのかと色めき立つ者がいる。
なぜ私の科学的結論を否定したがるのかと、私は不満だ。人々が創造的で計画的、企画者でありたがり、構成的に具現化行動したがる姿は頼もしくもあるが、それこそが、現代に至るクソな政治の成立経緯ではなかったのか?
公とは何か?公的価値とは何か?
公は、どうやら、交換ネットワーク全体にかかる薄皮ドームみたいなもんらしい。そこから資源徴収し始めると交換は一気に再分配へとジャンプする、というのが私の交換理論だ。ネットワークから、サークルに転化するのだな。国家は既にサークルだが、国際社会は未だネットワークなのだ。とはいえ薄皮に覆われた同舟には変わりない。国家の外にまで公の範囲は延びている。
公の具体的な内実はこの運命共同体がより良く生きることであり、今私が決めることではない。乗り合わせた皆が公平に幸せを感じられる人生を営むための価値を考えながら生きる。それが政治。政治参加。
公的価値実現審査恩賞制で、暮らしが政治、政治が暮らしになる。
公は、どうやら、交換ネットワーク全体にかかる薄皮ドームみたいなもんらしい。そこから資源徴収し始めると交換は一気に再分配へとジャンプする、というのが私の交換理論だ。ネットワークから、サークルに転化するのだな。国家は既にサークルだが、国際社会は未だネットワークなのだ。とはいえ薄皮に覆われた同舟には変わりない。国家の外にまで公の範囲は延びている。
公の具体的な内実はこの運命共同体がより良く生きることであり、今私が決めることではない。乗り合わせた皆が公平に幸せを感じられる人生を営むための価値を考えながら生きる。それが政治。政治参加。
公的価値実現審査恩賞制で、暮らしが政治、政治が暮らしになる。
ネットワークに過ぎない公の薄皮ドームにも役割を与えたい。
公的価値に関連して直接金銭を動かす役割ではなく、公的価値を認証、認定し、同時に国家内で行われる審査、評議、評定への異議申し立て受け付け機関としての監査役だ。
公的価値設定そのものは、国家主権を重んじるが、その正当性、公正性担保に国際機関による認証がお墨付きを与える構造だ。国内の利害対立から紛糾する場合の議論にグローバルな視点からの支援を加える。
もはや、グローバリゼーションは、脅威でも外圧でも既成価値秩序破壊要因でもない。王権神授説や、天皇勅許並みの権威付与サポーターに成しうる。皇室典範改正圧力のように、どうしても譲れぬ場合は、国家主権優先で拒否できる。そうした建付けが想定される新たな国際機関、即ち国際公的価値認定機関に、国連を潰して改組する。それ以前に参加各国が公的価値実現審査恩賞制を導入済みでないと駄目だがね。
まあ、文明論的深みから、科学的に人類が生き残るための抜本的政治改革を導き出すなら、これ以外にはないだろう、という結論や。
どうやって辿り着くかは知らん。下手な運動は起さんことや。
政治とは権力ならず。
過去には政治に特権や権力が必要な要素はあった。しかし、今はそれが、政治の機能不全の第一原因だ。機能不全なんやから、なんとかするやろ。アホみたいにいつまでも政権交代でグルグルやってる暇なんぞないやろ。
公的価値に関連して直接金銭を動かす役割ではなく、公的価値を認証、認定し、同時に国家内で行われる審査、評議、評定への異議申し立て受け付け機関としての監査役だ。
公的価値設定そのものは、国家主権を重んじるが、その正当性、公正性担保に国際機関による認証がお墨付きを与える構造だ。国内の利害対立から紛糾する場合の議論にグローバルな視点からの支援を加える。
もはや、グローバリゼーションは、脅威でも外圧でも既成価値秩序破壊要因でもない。王権神授説や、天皇勅許並みの権威付与サポーターに成しうる。皇室典範改正圧力のように、どうしても譲れぬ場合は、国家主権優先で拒否できる。そうした建付けが想定される新たな国際機関、即ち国際公的価値認定機関に、国連を潰して改組する。それ以前に参加各国が公的価値実現審査恩賞制を導入済みでないと駄目だがね。
まあ、文明論的深みから、科学的に人類が生き残るための抜本的政治改革を導き出すなら、これ以外にはないだろう、という結論や。
どうやって辿り着くかは知らん。下手な運動は起さんことや。
政治とは権力ならず。
過去には政治に特権や権力が必要な要素はあった。しかし、今はそれが、政治の機能不全の第一原因だ。機能不全なんやから、なんとかするやろ。アホみたいにいつまでも政権交代でグルグルやってる暇なんぞないやろ。
世界政府を拒否し、国家主権を維持しながら、世界的な政治的統合を権力ではなく、公によって実現するプランはこの形しかない。権力政治をそれまで維持してしまったら、世界政府は、恐怖の体制、自由なき、管理主義的なおぞましい監視社会にしかならないから、是が非でも、権力政治は終わらせておかねばなるまい。既存の政治概念の延長であってはならんのだ。「世界政府を拒否する世界統合」は、統合のディスティニーが必然ならば、何としてでも辿り着くべき最適解に違いない。
世界政府イメージが不人気で、おぞましいディストピア像に塗り固められたのは、20世紀前半のオルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」や、ジョージ・オーウェルの「1984」ら、反共主義SF小説の影響だ。それ以前には、イマニュエル・カントやHGヴェルズ、アインシュタインらに見られるような、素朴な平和主義、戦争回避願望からの世界政府理想論が主流であり続けてきた。現代自由主義世界の住民に、世界政府は悪夢、陰謀論の類と植え付けた元凶は、マルクス主義なのである。あの、「科学的」社会主義を標榜した似非科学、マルクス主義を退治し、完全に葬り去る必要がある。
マルクス主義は、詐欺であり、完全なる謬説だ。
マルクスは、共産主義が実現すれば、国家は、消滅すると説いた。科学的法則としてである。
これに対し、カール・ポパーは、マルクス主義は反証不能な体系(歴史が証明すると言うだけ)に陥ったと批判した。つまり科学の要件を満たさぬ信念体系だと。で、歴史は何を証明したか?
共産主義国家が必ず抑圧的、全体主義的な独裁国家にしかならないことだ。レーニンは、さらにコミンテルンで、この恐怖政治しかもたらさぬ強権的暴力的専制支配装置を世界政府化しようと図った。だから、世界政府のSFイメージは、すっかり地獄絵図化したわけだ。国家が消滅しないどころか、史上最悪のグロテスクな弾圧暴力装置を生み出した責任はマルクス主義にある。これを直ちに唾棄し、ゴミ箱に投入、焼却しないとしたら、人類はまともな正邪判断、正誤判断ができない生き物だということになろう。焚書が野蛮なら、せめて邪悪な妄説博物館に飾るべき汚点、反面教師として扱われて然るべきだろう。マルクス主義の過誤は本質的で、その生産理論にあり、交換理論の欠落した社会認識に根差す。
マルクスは、共産主義が実現すれば、国家は、消滅すると説いた。科学的法則としてである。
これに対し、カール・ポパーは、マルクス主義は反証不能な体系(歴史が証明すると言うだけ)に陥ったと批判した。つまり科学の要件を満たさぬ信念体系だと。で、歴史は何を証明したか?
共産主義国家が必ず抑圧的、全体主義的な独裁国家にしかならないことだ。レーニンは、さらにコミンテルンで、この恐怖政治しかもたらさぬ強権的暴力的専制支配装置を世界政府化しようと図った。だから、世界政府のSFイメージは、すっかり地獄絵図化したわけだ。国家が消滅しないどころか、史上最悪のグロテスクな弾圧暴力装置を生み出した責任はマルクス主義にある。これを直ちに唾棄し、ゴミ箱に投入、焼却しないとしたら、人類はまともな正邪判断、正誤判断ができない生き物だということになろう。焚書が野蛮なら、せめて邪悪な妄説博物館に飾るべき汚点、反面教師として扱われて然るべきだろう。マルクス主義の過誤は本質的で、その生産理論にあり、交換理論の欠落した社会認識に根差す。
なぜ生産理論偏重が、凝縮されたような抑圧的強権恐怖政治をもたらすか?
生産理論偏重は、社会を製造装置化し、人間を生産ロボット部品化した上で、コモンズの悲劇回避策に強権主体の一者を呼び招かざるを得ないからである。
窮極の私物化を正当化する理論に化ける。「全世界私物化理論としてのマルクス主義」と、正しく評価できなければ悲劇は避けられない。
生産理論偏重は、社会を製造装置化し、人間を生産ロボット部品化した上で、コモンズの悲劇回避策に強権主体の一者を呼び招かざるを得ないからである。
窮極の私物化を正当化する理論に化ける。「全世界私物化理論としてのマルクス主義」と、正しく評価できなければ悲劇は避けられない。
マルクス主義の国家論、国家観はこんなものでしかない。↓
「貧富の差ができて富者が貧者を支配し、隷属したいと考えました。貧者の抵抗や反乱を抑えるために国家が出来ました。終わり。」
こんなにリアリティのない適当な国家観しかない科学って?
「階級対立を解消すれば、パッと国家が消えてなくなりますよ。」
結果、なくならない。当たり前だろ。幼稚過ぎるだろ。何故信じた?
エンゲルスの国家論
「国家は共同体内部の対立を調停するための装置として現れるが、本質は支配階級の秩序維持装置。」 支配階級が調停するからな。
レーニンの国家論
国家は「資本家の暴力装置」なので、「労働者の暴力装置」にすげ替える必要がある。
暴力装置の奪い合い。
グラムシの国家論
暴力と文化と合意の複合体が国家
アルチュセールの国家論
「暴力だけではないイデオロギーによる洗脳支配」
と、支配テクニックの洗練と巧妙化に目を向けるが、階級対立維持保全装置が国家だという点は変わらないまま。
なんだこりゃ、だろ?
マルクス主義ならば、国家は解消されなければならない。
なら、突っ込もう。
国家がなくなってないなら、階級対立は維持されたままなんだね?と。
いや、嘘なんだよ。デマなんだ。根拠なき妄想なんだ。やつらは国家を解明できてはいないんだ。
「貧富の差ができて富者が貧者を支配し、隷属したいと考えました。貧者の抵抗や反乱を抑えるために国家が出来ました。終わり。」
こんなにリアリティのない適当な国家観しかない科学って?
「階級対立を解消すれば、パッと国家が消えてなくなりますよ。」
結果、なくならない。当たり前だろ。幼稚過ぎるだろ。何故信じた?
エンゲルスの国家論
「国家は共同体内部の対立を調停するための装置として現れるが、本質は支配階級の秩序維持装置。」 支配階級が調停するからな。
レーニンの国家論
国家は「資本家の暴力装置」なので、「労働者の暴力装置」にすげ替える必要がある。
暴力装置の奪い合い。
グラムシの国家論
暴力と文化と合意の複合体が国家
アルチュセールの国家論
「暴力だけではないイデオロギーによる洗脳支配」
と、支配テクニックの洗練と巧妙化に目を向けるが、階級対立維持保全装置が国家だという点は変わらないまま。
なんだこりゃ、だろ?
マルクス主義ならば、国家は解消されなければならない。
なら、突っ込もう。
国家がなくなってないなら、階級対立は維持されたままなんだね?と。
いや、嘘なんだよ。デマなんだ。根拠なき妄想なんだ。やつらは国家を解明できてはいないんだ。
毛沢東の国家論
国家は、暴力装置である。革命前は、資本家が農民を抑圧する暴力装置としての国家だった。
革命後は、人民の敵たる資本家を抑圧する暴力装置としての国家が生まれた。国家を維持するためには、人民の敵=資本家が必要だから、国内の隠れ資本家を探し出し、粛清。日本も人民の敵だから、暴力装置である国家は、強大化せねばならない。米帝も人民の敵だから、核武装必須。
毛沢東国家論では、暴力装置絶対主義であり、暴力装置のために内外に人民の敵を不断に作り出さねばならない。この様な異常国家を出現させた責任がマルクス主義にはある。
国家は、暴力装置である。革命前は、資本家が農民を抑圧する暴力装置としての国家だった。
革命後は、人民の敵たる資本家を抑圧する暴力装置としての国家が生まれた。国家を維持するためには、人民の敵=資本家が必要だから、国内の隠れ資本家を探し出し、粛清。日本も人民の敵だから、暴力装置である国家は、強大化せねばならない。米帝も人民の敵だから、核武装必須。
毛沢東国家論では、暴力装置絶対主義であり、暴力装置のために内外に人民の敵を不断に作り出さねばならない。この様な異常国家を出現させた責任がマルクス主義にはある。
なぜ政治は、属人的な意思決定でなければならないのか?答えがない問題に答えを出す行為だから、主観的価値判断に委ね、責任を取らせるため、つまり、生贄。しかしながら、あまり厳しい責任追及をすると成り手がいなくなるから、有限責任と甘い汁とで成り手を確保せねばならない。古く、国家以前の部族社会では、占い師なのか祭祀王なのか、生贄なのか判然としない属人的意思決定者が時に呪術的卜占的補助手段に助けられながら祭り事の中心にいた。金枝篇でおなじみの王殺しは、政治の始まりに普遍的に現れた生贄王と結びついている。
それが、今や、特権は享受すれども責任は取らない政治家にすっかり入れ替わった。甘い汁だらけで責任追及はなし。だったら、属人的意思決定である必要もなくなったはず。成田悠輔が政治家は猫でいいと言った理由である。
それが、今や、特権は享受すれども責任は取らない政治家にすっかり入れ替わった。甘い汁だらけで責任追及はなし。だったら、属人的意思決定である必要もなくなったはず。成田悠輔が政治家は猫でいいと言った理由である。
ちょうど卑弥呼や台与の時代の3世紀以前の倭国がこの祭祀王=生贄王時代だったわけだ。そんな時代の政治は、記憶されていても到底国史には書けない。国史=中国王朝が読む記録だからである。したがって、卑弥呼、台与は書き記されることなく、天照大神の岩戸隠れ前後或いは豊受大神として神話的天上界の神にされ、倭迹迹日百襲姫命と豊鍬入姫命とは分離された。
[YouTubeで再生]
恩送りは、英語圏では、ペイフォワードpay forwardといい、2000年にアメリカで映画にもなった。
既に解説したように、交換理論では、一般交換と呼び、貨幣交換や、再分配へと進化する。
貨幣交換は、市場交換から、資本主義へと開花して、その非対称不等価交換は、格差や利益の偏在、バブル、バブル崩壊やら、資源収奪をもたらすことにもなった。
再分配は、残念ながら権力化し、資本主義を克服するのだと言って、マルクス主義という全世界私物化の悲劇をもたらした。
これが、われわれが住む社会の実態だ。パンパンガールはそんな社会におけるズタズタに砂粒化した個人による再分配詐欺、徴税カオスの先駆形態なのであった。その先の未来までのビジョンを示した約一年に渡る掲示板のブログ化も、ご迷惑様で、そろそろ幕を下ろさねばなるまい。
この構想は、私が卒論で交換理論をテーマに取り上げて以来温め続けたもので、社会人生活の傍ら、頭の片隅では常に交換理論で社会を眺め続けた結果である。たった一つの公理、「社会は、交換ネットワークである」、という閃きを転がし続けた挙げ句の結論だ。そうではない、という反証は遂に現れなかったから、多分、手堅い真実であるだろう。

既に解説したように、交換理論では、一般交換と呼び、貨幣交換や、再分配へと進化する。
貨幣交換は、市場交換から、資本主義へと開花して、その非対称不等価交換は、格差や利益の偏在、バブル、バブル崩壊やら、資源収奪をもたらすことにもなった。
再分配は、残念ながら権力化し、資本主義を克服するのだと言って、マルクス主義という全世界私物化の悲劇をもたらした。
これが、われわれが住む社会の実態だ。パンパンガールはそんな社会におけるズタズタに砂粒化した個人による再分配詐欺、徴税カオスの先駆形態なのであった。その先の未来までのビジョンを示した約一年に渡る掲示板のブログ化も、ご迷惑様で、そろそろ幕を下ろさねばなるまい。
この構想は、私が卒論で交換理論をテーマに取り上げて以来温め続けたもので、社会人生活の傍ら、頭の片隅では常に交換理論で社会を眺め続けた結果である。たった一つの公理、「社会は、交換ネットワークである」、という閃きを転がし続けた挙げ句の結論だ。そうではない、という反証は遂に現れなかったから、多分、手堅い真実であるだろう。
マルキシズムよりも余程リベラリズムの方が確実に国家を消滅させる正規ルートを敷いている。ジョージ・ソロスのオープンソサイエティ財団やら、国連が掲げるリベラリズム的価値観は、グローバリゼーションを肯定し、国境を越えて国家の侵食を促すものだから、アメリカも拒絶反応を示し始めた。ソロスと袂を分かったスコットべッセントが財務長官になったのは、トランプのアメリカ第1主義に共感したからだ。

NHK街頭録音取材ラジオ番組をきっかけに足を洗って有名になった街娼リーダー西田時子や当時の新聞から、パンパンガールの生態を炙り出した文春オンライン記事。中流階級の実家住まいの子女の割合の多さや、恋愛遊びの延長線上にあった街娼ビジネスか伺い知れる。

「そうかもね。でも彼氏は、毎日笑顔で送り出してくれて、帰ればセックスしてくれるから、私はそれで幸せです」
自分の彼女が見ず知らずの男に抱かれ、それで得たカネで自分は暮らす、そんな状況を彼氏は許せるものなのか。一方、紗希は彼氏のことを信じきっているのか、それとも騙されるのではと疑いつつ、彼氏を信じる自分に酔っているのか。しかし沙希は、なんど質問を重ねても「私はそれで幸せ」と言うにとどまった。(209~210ページより)
恋愛か、性加害か曖昧な時代、恋愛か、性搾取かも境界はぼやけてくる。関係性が溶け出して、行動規範も失われたことを、終戦直後も自由と呼んだが、今でもそうだ。何も変わっちゃいないのだ。
読み直したが、グッバイにはそんな戯れ歌はなかったわ。するとあれは、太宰の何の作品だったか?
まあ、そんなことより、再分配の再建が未来を……などと言ってる私に新たなる敵が認識された。MMTだ。MMTは、国家財政において、自国通貨発行が出来る国においては、税金は、財源にあらずと主張する。再分配は、存在しないというわけだ。再建のしようがないことになる。しばらくは、これと引き続き格闘せねばなるまい。恩送りが貨幣でとんでもない化け物になったように、再分配もまた、貨幣によってモンスターと化したのではあるまいか?
誰も問うた試しのない疑問、謎は、大好物や。そろそろやめるつもりだったが、このミステリーだけは解かねばなるまい。徴税に足を突っ込んだ以上、致し方ない。延長戦だ。
まあ、そんなことより、再分配の再建が未来を……などと言ってる私に新たなる敵が認識された。MMTだ。MMTは、国家財政において、自国通貨発行が出来る国においては、税金は、財源にあらずと主張する。再分配は、存在しないというわけだ。再建のしようがないことになる。しばらくは、これと引き続き格闘せねばなるまい。恩送りが貨幣でとんでもない化け物になったように、再分配もまた、貨幣によってモンスターと化したのではあるまいか?
誰も問うた試しのない疑問、謎は、大好物や。そろそろやめるつもりだったが、このミステリーだけは解かねばなるまい。徴税に足を突っ込んだ以上、致し方ない。延長戦だ。
貨幣とは、実物取り立て券だな。
発行主体は国家。実物は、特定されない何かだ。国家は、この取り立て券発行主体だが、いざとなったら取り立て強制執行出来ることを裏付けに恣意的に発行可能=自国通貨発行権だ。決して実現はしない(?)バーチャルな可能性を担保に取り立て券を発行している。
企業も、何らかの実物と引き換えに実物取り立て券を掻き集め、従業員からの労働という実物と引き換えに、集めた取り立て券を配布する。
国家が発行した取り立て券が市中でも取り立て券としての効力を保ちながら流通するシステムが、近代経済。その効力が弱まることをインフレ、高まることをデフレ言うのだな。
発行主体は国家。実物は、特定されない何かだ。国家は、この取り立て券発行主体だが、いざとなったら取り立て強制執行出来ることを裏付けに恣意的に発行可能=自国通貨発行権だ。決して実現はしない(?)バーチャルな可能性を担保に取り立て券を発行している。
企業も、何らかの実物と引き換えに実物取り立て券を掻き集め、従業員からの労働という実物と引き換えに、集めた取り立て券を配布する。
国家が発行した取り立て券が市中でも取り立て券としての効力を保ちながら流通するシステムが、近代経済。その効力が弱まることをインフレ、高まることをデフレ言うのだな。
取り立て券が実物との対応をしていないのは、国家レベルであり、市中では対応するから、労働-消費生活では気が付かないのよ。
日常生活では、交換原則が保たれていることがポイントや。だから、未だに私達の血税とか、税金ドロボーだとか、我々の税金を無駄な事に使わないでみたいな監視態度が残る。
日常生活では、交換原則が保たれていることがポイントや。だから、未だに私達の血税とか、税金ドロボーだとか、我々の税金を無駄な事に使わないでみたいな監視態度が残る。
この図も大間違いなのだが、それはおいおい。
MMTは、素朴な再分配幻想を悪気なくぶち壊して国家の自由を最大化する事で、貧富の差ならぬ、腐敗の格差を生み出す。
一般交換を懐かしみ、貨幣交換を中止する暴挙は誰も選択はしない。同様に、再分配を懐かしみ貨幣納税を廃止する選択肢もありはしない。まずは、貨幣によって交換理論は何を被り、何を失ったのかを解析することだ。
MMTは、最初に政府が政府支出で貨幣を生み出すと言いたいがために下らない派生言辞をばら撒く。
最初に政府が人々を働かせる、或いは、人々が働いて政府という神輿を担ぐという税の本質を、貨幣供給にすげ替え、国債が財源、税は財源にあらずとか言い出す。
真実は、国債も税も、区別されることなく同じ財布の中で財源になる。貨幣=実物取り立て券だから、財源は実物と邂逅し、ヒト、モノを動かす。
MMTは、素朴な再分配幻想を悪気なくぶち壊して国家の自由を最大化する事で、貧富の差ならぬ、腐敗の格差を生み出す。
一般交換を懐かしみ、貨幣交換を中止する暴挙は誰も選択はしない。同様に、再分配を懐かしみ貨幣納税を廃止する選択肢もありはしない。まずは、貨幣によって交換理論は何を被り、何を失ったのかを解析することだ。
MMTは、最初に政府が政府支出で貨幣を生み出すと言いたいがために下らない派生言辞をばら撒く。
最初に政府が人々を働かせる、或いは、人々が働いて政府という神輿を担ぐという税の本質を、貨幣供給にすげ替え、国債が財源、税は財源にあらずとか言い出す。
真実は、国債も税も、区別されることなく同じ財布の中で財源になる。貨幣=実物取り立て券だから、財源は実物と邂逅し、ヒト、モノを動かす。
取り立て券は、債券化して取り引きされるから、取り立て券で既発行の取り立て券を集める。企業は、社債発行可能だし、債券市場のマネーゲームも起きる。ポンド危機みたいに通貨狙い撃ちで金儲けが出来るカジノ化するわけだ。
だから、実物乖離、実体剥離は国家レベルだけではなく、取り立て券同士がくんずほぐれつ絡み合う金融市場でも起きている。
ソロスが仕掛けたポンド危機は実体乖離前提だから、ポンドの実力云々は言いがかりで構わず、自己実現的な予言で引き摺り下ろせる。
実物や交換ではなく、貨幣が鼻面を引き回す世界の現出である。
だから、実物乖離、実体剥離は国家レベルだけではなく、取り立て券同士がくんずほぐれつ絡み合う金融市場でも起きている。
ソロスが仕掛けたポンド危機は実体乖離前提だから、ポンドの実力云々は言いがかりで構わず、自己実現的な予言で引き摺り下ろせる。
実物や交換ではなく、貨幣が鼻面を引き回す世界の現出である。
信用経済だから信用操作で価格を動かせるわけだ。信用は目には見えないバーチャルなものだ。
つまりは裏付けなき、未実現に依存したバーチャル妄想経済に国家も呑み込まれ、財源は税金に非ずとかほざいているのがMMT。
でも、MMTが説くように実際の貨幣は、そのバーチャルな未実現取り立て幻想の中で発行されて流通するしかないわけで、明治政府以来の日本の近代経済のベースマネーは、現実に政府債務に釣り合ってしか存在してこなかったとまで言われるわけだよ。これだけ現実経済を支えて(引き回して)来た以上、この幻想の枠外で人が生きるのは不可能だ。
つまりは裏付けなき、未実現に依存したバーチャル妄想経済に国家も呑み込まれ、財源は税金に非ずとかほざいているのがMMT。
でも、MMTが説くように実際の貨幣は、そのバーチャルな未実現取り立て幻想の中で発行されて流通するしかないわけで、明治政府以来の日本の近代経済のベースマネーは、現実に政府債務に釣り合ってしか存在してこなかったとまで言われるわけだよ。これだけ現実経済を支えて(引き回して)来た以上、この幻想の枠外で人が生きるのは不可能だ。
近代国家は、「幻想の共同体」とか言っちゃっているが、「脱共同体」であり、「脱実体」、「脱現実」だったわけだな。社会契約論幻想で動かされてきた単なるエネルギー流動体なのかもな。
社会契約論とは、思考実験が描き出したノスタルジーに過ぎないわけで。だが、その幻想がなければ人は自己を保てない。
兌換紙幣時代は掴まり歩きのヨチヨチだったが、不換紙幣時代を駆けるにはMMTで割り切る幻想の切捨てで生きるしかないから、究極的には、国家は、やばいことなるだろう。実体、実物を無視して膨れ上がる数字に資本主義も振り回されるが、国家も振り回される。どっちが先に目を回してぶっ倒れるか?
資本主義なら、国家間格差、国内格差が経済力を巡って起こる。国家の場合には、不正、腐敗の格差が政府や官僚機構を暴走させやすいのだが、大丈夫なのか?
巷で騒がれている財務省解体の本音が国家解体だとは、騒いでいる本人たちも気が付かない。MMT論者達も、自分達は、国家再生論者だと誤認しているくらいだからな。
社会契約論とは、思考実験が描き出したノスタルジーに過ぎないわけで。だが、その幻想がなければ人は自己を保てない。
兌換紙幣時代は掴まり歩きのヨチヨチだったが、不換紙幣時代を駆けるにはMMTで割り切る幻想の切捨てで生きるしかないから、究極的には、国家は、やばいことなるだろう。実体、実物を無視して膨れ上がる数字に資本主義も振り回されるが、国家も振り回される。どっちが先に目を回してぶっ倒れるか?
資本主義なら、国家間格差、国内格差が経済力を巡って起こる。国家の場合には、不正、腐敗の格差が政府や官僚機構を暴走させやすいのだが、大丈夫なのか?
巷で騒がれている財務省解体の本音が国家解体だとは、騒いでいる本人たちも気が付かない。MMT論者達も、自分達は、国家再生論者だと誤認しているくらいだからな。
インフレだけが問題ならなぜデフォルト危機が未だに起きるのか?
全ての国に通貨発行権が備わっているわけではないからだと?
ならば、すべての国に貨幣発行を義務化すればいいじゃん?
信用がない。
通貨乱立バラバラだと取引コストが……
政治的制度的未成熟で……
それは、独立を許さない欧米列強の意思から来る抑圧に過ぎず、半植民地状態継続の押し付けだろ。
翻って安穏としている欧米列強先進国とらやらにもMMT浸透のせいでバラマキ、腐敗、インフレの連鎖リスク高まりそうだ。腐敗の格差を生み出すシステムなのだからね。
すると、実は世界統一通貨への罠なんじゃないか?という疑念も浮かぶ。耳に心地よい国家の独立と自由を謳いながら、真に受ければ腐敗の格差、腐敗の独占から、国家中枢が不信と非難の砲火を浴び、爆死するトラップ。
全ての国に通貨発行権が備わっているわけではないからだと?
ならば、すべての国に貨幣発行を義務化すればいいじゃん?
信用がない。
通貨乱立バラバラだと取引コストが……
政治的制度的未成熟で……
それは、独立を許さない欧米列強の意思から来る抑圧に過ぎず、半植民地状態継続の押し付けだろ。
翻って安穏としている欧米列強先進国とらやらにもMMT浸透のせいでバラマキ、腐敗、インフレの連鎖リスク高まりそうだ。腐敗の格差を生み出すシステムなのだからね。
すると、実は世界統一通貨への罠なんじゃないか?という疑念も浮かぶ。耳に心地よい国家の独立と自由を謳いながら、真に受ければ腐敗の格差、腐敗の独占から、国家中枢が不信と非難の砲火を浴び、爆死するトラップ。
財政ファイナンスは悪ではない。インフレ以外恐れるに足らず。それがMMT。
実際にそうなっており、財政規律の為に理念型モデルとして財政均衡主義すなわち再分配モデルからのプライマリーバランスが取り憑いてはいるけど、守られちゃいない。
国債はベースマネーに必要不可欠なものだから、気にする必要はない。税は財源じゃないから、遠慮なく国債発行せねばならない。財政支出に制約なし。
日本やアメリカには比較的よく適合するし、莫大な国債残高が手付かずのまま放置出来ていて理論の正しさを裏付けている。その代わり、官僚機構は、DS呼ばわりで、イーロンがナタを振るい、財務省解体デモが練り歩くが、気にするな。
実際にそうなっており、財政規律の為に理念型モデルとして財政均衡主義すなわち再分配モデルからのプライマリーバランスが取り憑いてはいるけど、守られちゃいない。
国債はベースマネーに必要不可欠なものだから、気にする必要はない。税は財源じゃないから、遠慮なく国債発行せねばならない。財政支出に制約なし。
日本やアメリカには比較的よく適合するし、莫大な国債残高が手付かずのまま放置出来ていて理論の正しさを裏付けている。その代わり、官僚機構は、DS呼ばわりで、イーロンがナタを振るい、財務省解体デモが練り歩くが、気にするな。
実物取り立て券が、実際には実行されないのは、貨幣納導入による副産物で、古来、徴税とは、実物取り立てに他ならなかった。貨幣納にしたがゆえに、実物取り立てはせず、貨幣を使わせ、貨幣で納税することを強いた。
しかし、財政支出により、国民は労務を提供し、実物を提供することになる。貨幣というただの紙切れで支払われて実物取り立てに応ずるのだ。その代わり、納税もただの紙切れで済む。
実物取り立て券は、市中でも実物取り立て券として流通するから、実物取り立て券で納税すると実物取り立てする執行力を国に譲ることを意味する。国の財政支出で実物を取り立てられれば券は戻る。紙切れが不足しては困ろうと、政府は国債まで発行して紙切れを供給する。
緊縮財政ヤメロ!は、実物取り立てして下さいの言い換えに過ぎない。
なぜ、納税分だけの紙切れでは国は足りないのだろうか?足りるも何も実物取り立て券は、国が独占的に発行して実物取り立てをする権利を行使するだけなのだから、吸い上げた実物取り立て券の範囲でしか実物取り立てができないルールなどない。好きなだけ実物取り立てをするのみだ。
国債新規発行分も財政支出されるから実物取り立て券が市中に増える。お金が嫌いな人はいないから、市中もそれを大歓迎だ。もっともっとは、市民も同じ。
しかし、財政支出により、国民は労務を提供し、実物を提供することになる。貨幣というただの紙切れで支払われて実物取り立てに応ずるのだ。その代わり、納税もただの紙切れで済む。
実物取り立て券は、市中でも実物取り立て券として流通するから、実物取り立て券で納税すると実物取り立てする執行力を国に譲ることを意味する。国の財政支出で実物を取り立てられれば券は戻る。紙切れが不足しては困ろうと、政府は国債まで発行して紙切れを供給する。
緊縮財政ヤメロ!は、実物取り立てして下さいの言い換えに過ぎない。
なぜ、納税分だけの紙切れでは国は足りないのだろうか?足りるも何も実物取り立て券は、国が独占的に発行して実物取り立てをする権利を行使するだけなのだから、吸い上げた実物取り立て券の範囲でしか実物取り立てができないルールなどない。好きなだけ実物取り立てをするのみだ。
国債新規発行分も財政支出されるから実物取り立て券が市中に増える。お金が嫌いな人はいないから、市中もそれを大歓迎だ。もっともっとは、市民も同じ。
市中に実物取り立て券を撒くためには財政支出が必要だ。日銀が購入(量的緩和)したり、国債を借り換え(税収で償還しない)し続けなければならないのは、市中に実物取り立て券を残さなければならないからだというわけだ。
MMT過激派は恩を売るかもしれない。
国債とは、本来徴税したい分を市中に実物取り立て券を残すために我慢して、予め減税した痕跡であるとも考えられる。GDPの2.6倍も政府債務が積み上がったということは、本当は2.6個分の日本を徴税したかったけど我慢したよ、という貪欲なる国家意思とその自己抑制を表している。感謝せねば。
或いは、2.6個分の実物取り立て券を撒いたけど何故成長しないでグズグズしてたの?どこに実物取り立て券隠してるの?と政府に叱られてもおかしくない状態だとも言える。実際には、民間が国債を買い、財政支出でマネーが国債分撒かれる。満期償還時に元本は戻るが、償還原資は、国債借り換えだから、新たなカモから吸い上げた金で償還するだけ。マネーは増えないし、新たな財政支出もない。農水省の行方不明米21万トンと同じ民間責任転嫁。
MMT過激派は恩を売るかもしれない。
国債とは、本来徴税したい分を市中に実物取り立て券を残すために我慢して、予め減税した痕跡であるとも考えられる。GDPの2.6倍も政府債務が積み上がったということは、本当は2.6個分の日本を徴税したかったけど我慢したよ、という貪欲なる国家意思とその自己抑制を表している。感謝せねば。
或いは、2.6個分の実物取り立て券を撒いたけど何故成長しないでグズグズしてたの?どこに実物取り立て券隠してるの?と政府に叱られてもおかしくない状態だとも言える。実際には、民間が国債を買い、財政支出でマネーが国債分撒かれる。満期償還時に元本は戻るが、償還原資は、国債借り換えだから、新たなカモから吸い上げた金で償還するだけ。マネーは増えないし、新たな財政支出もない。農水省の行方不明米21万トンと同じ民間責任転嫁。
国家レベルで実物取り立て券が実物との対応を失っているのはここで、大量の国債残高を償却するマネーが存在しない。
つまり、実物取り立て券が機能している規模ではどうにもならない幻の実物取り立て券が存在してしまっている。この実物取り立て券は、実物取り立て券同士の対話で(借換えで)膨れ上がることしか出来ない。
借換え国債は、永久に実物とは出会わない。償還期限を迎えた国債の旧所有者に元本が戻されるけれど、それは元々市中から吸い上げたマネーであったから移動しただけで、同額が再び市中から引き上げられたのだ。
AからBへと実物取り立て執行権喪失が移転した。Bが日銀だとしたら、今後借換えすら必要ない死金と化す。実物不在で膨張し続ける「将来世代への借金債務」という名の肥溜。半減期なき放射性廃棄物。いや、自己増殖するウンコ。
>>404の財政支出という食べ物にはならない排泄物はこっちの方だ。
つまり、実物取り立て券が機能している規模ではどうにもならない幻の実物取り立て券が存在してしまっている。この実物取り立て券は、実物取り立て券同士の対話で(借換えで)膨れ上がることしか出来ない。
借換え国債は、永久に実物とは出会わない。償還期限を迎えた国債の旧所有者に元本が戻されるけれど、それは元々市中から吸い上げたマネーであったから移動しただけで、同額が再び市中から引き上げられたのだ。
AからBへと実物取り立て執行権喪失が移転した。Bが日銀だとしたら、今後借換えすら必要ない死金と化す。実物不在で膨張し続ける「将来世代への借金債務」という名の肥溜。半減期なき放射性廃棄物。いや、自己増殖するウンコ。
>>404の財政支出という食べ物にはならない排泄物はこっちの方だ。
国債は、財政支出されるなら実物取り立て券を生む食べ物。役目を終えて償還期限待ちで伏せればウンコ。自動的に償還期限に実物取り立て券を生んでくれる新規借換え国債という食べ物を連れて来るウンコなんだな。借り換えに使われる新規国債=食べ物は、償還用に特化しているから、即時ウンコ化して伏せる。税金で償還しない以上ウンコは溜まる一方。
日本の場合、単年度税収は、GDPの30%ほど。GDPの6%程度の正味の新規国債=赤字国債が、250%にまで累積するには42年借換え続ければ良い。実際には、1980年の47.8%から44年後の2024年に、225.8%に膨張したが、バブル景気を挟み、税収から償還したり、正味新規国債が少ない年もあったからである。
日本の場合、単年度税収は、GDPの30%ほど。GDPの6%程度の正味の新規国債=赤字国債が、250%にまで累積するには42年借換え続ければ良い。実際には、1980年の47.8%から44年後の2024年に、225.8%に膨張したが、バブル景気を挟み、税収から償還したり、正味新規国債が少ない年もあったからである。
2024年度、正味の新規国債(赤字国債+建設国債+復興債)は、34.9兆円。借り換え国債含めた総国債発行額170兆円の2割に当たる。差額135.1兆円が借り換え国債。税収は、73.4兆円だから、借り換え国債の方が2倍近い。これを良しとするのがMMTであり、良しも悪しもない現実がこれだ。私が腐敗の格差と呼ぶのは、腐敗とは、こうした巨額マネーを差配する関係者に発生するもので、尚且つ誰も責任を負わない特殊環境なら漏れなく繁殖する現象だからだ。そんな特殊、特別な環境を肯定する思想がMMTだから、腐敗格差が爆誕する。政府機関に腐敗格差をはびこらせることになる。ウンコ製造機関化しているのだから、
腐敗はまぬがれないも道理である。
腐敗はまぬがれないも道理である。
これが真実で明治維新後150年間もやり続けてきたなら、頭の良い財政担当官僚は、MMTなんてとっくに気づいていたろう?いや、単なる会計事務屋にそれは無理だ。
こんな事を言うMMT信者がいる。
「そもそも我々が使っているお金は、
政府債務か日銀の債務無しでは生まれないのです。
財務省が目指してる国の借金返済を無事成し遂げたら、貨幣1100兆円が国内から消失して 日本経済は崩壊します」
もちろんウソだ。貨幣には裏付けはいらないし、負債である必要もない。
一気に税収で償還するとしたら消えるかも知れないが、GDPの2.5倍の税収などありはしない。現在流通している貨幣が国債から生まれたわけでもない。
マネーは、量的緩和がない時代、国債がない時代から存在してきたし、国債残高が0になっても消えはしない。
こんな事を言うMMT信者がいる。
「そもそも我々が使っているお金は、
政府債務か日銀の債務無しでは生まれないのです。
財務省が目指してる国の借金返済を無事成し遂げたら、貨幣1100兆円が国内から消失して 日本経済は崩壊します」
もちろんウソだ。貨幣には裏付けはいらないし、負債である必要もない。
一気に税収で償還するとしたら消えるかも知れないが、GDPの2.5倍の税収などありはしない。現在流通している貨幣が国債から生まれたわけでもない。
マネーは、量的緩和がない時代、国債がない時代から存在してきたし、国債残高が0になっても消えはしない。
国債残高:約1,100兆円(2023年)
日本銀行保有:約500~600兆円(約50%)
民間(銀行、保険会社、年金基金など):約400兆円
海外投資家:約100兆円
ベースマネー:約600兆円
というのが今の日本だと言うならば、日銀保有が600兆だとして、国債残高の500兆から海外投資家100兆を引いた400兆の国債を買う資金力は民間にあったわけだ。それは、一時的に償還期限までは市中から吸い上げられているわけだよ。市中で流動するマネーで2024年度GDP609兆を生み出したんだな。
単年度では直近2024年度160兆円の国債発行に対して、借換え分は125.3兆円、新規国債は、34.9兆円に過ぎない。つまり、8割近くが完全なる死金に向かう。GDPの8割の400兆でほぼ死金の国債残高を買い支えている経済が、この日本。
民間保有国債400兆の大半は財政支出済みの国債借換えだから、直近では、35兆円だけが財政支出に結びついたのみ。GDP609兆円のうち574兆円は、政府と関係なく民間だけで生み出したんだな。GDPにおける財政支出寄与度は、5.7%に過ぎない。
日本銀行保有:約500~600兆円(約50%)
民間(銀行、保険会社、年金基金など):約400兆円
海外投資家:約100兆円
ベースマネー:約600兆円
というのが今の日本だと言うならば、日銀保有が600兆だとして、国債残高の500兆から海外投資家100兆を引いた400兆の国債を買う資金力は民間にあったわけだ。それは、一時的に償還期限までは市中から吸い上げられているわけだよ。市中で流動するマネーで2024年度GDP609兆を生み出したんだな。
単年度では直近2024年度160兆円の国債発行に対して、借換え分は125.3兆円、新規国債は、34.9兆円に過ぎない。つまり、8割近くが完全なる死金に向かう。GDPの8割の400兆でほぼ死金の国債残高を買い支えている経済が、この日本。
民間保有国債400兆の大半は財政支出済みの国債借換えだから、直近では、35兆円だけが財政支出に結びついたのみ。GDP609兆円のうち574兆円は、政府と関係なく民間だけで生み出したんだな。GDPにおける財政支出寄与度は、5.7%に過ぎない。
日本の場合、総債務>GDPが、常態化。
政府債務(約250%)、企業債務(約115%)、家計債務(約65%)を単純合計すると、非金融部門の総債務はGDPの約430%(4.3倍)。
これは、世界的傾向でもある。
原因は、経済成長の鈍化、定常化への対策だろうが、グローバル化、格差社会化と金融資本主義が国家も巻き込んだ借金体質へと導き、成長鈍化をもたらしたとも言え、ただ単に成長鈍化したからではなさそうだ。成長鈍化なら、実物制約に衝突して行き詰まりねばならないが、実物制約に衝突しないマネーの輪舞が、成長鈍化と総債務>GDPを招いていそうだ。
貪欲なグローバル金融市場、金融資本主義と格差社会が?格差社会は、ポピュリズムを生み、金融資本主義は、マネーをだぶつかせる。MMTは、ポピュリズムの援護射撃になり、マネーがダブつくことを容認するからこそ、資本主義への引導となる。
資本主義は、その成功により定常化し、共産化するという、シュンペーター予言かな?
実物取り立て券は、政府も民間も使用する。本来、実物選択は誰がすべきなのか?政府か?個々人か?前者が共産主義、後者が自由市場主義。
政府の財政支出は、政府による実物取り立てに他ならない。
個々人とか選択とか言っても商品サービスは企業組織が発見し、誂えるものよ。実物との邂逅は、民間に撒いた実物取り立て券によって企業が見出すものであり、政府じゃない。実物取り立て券は、民間に流通した方が世の役に立つ。
政府の財政支出は、政府による実物取り立てに他ならない。
個々人とか選択とか言っても商品サービスは企業組織が発見し、誂えるものよ。実物との邂逅は、民間に撒いた実物取り立て券によって企業が見出すものであり、政府じゃない。実物取り立て券は、民間に流通した方が世の役に立つ。
徴税とは、実物取り立てなんだから、実物取り立て券を発行するのは別に目新しいことじゃない。実物取り立て「権」をチケット(券)にしただけ。別に無から有を生み出したわけじゃない。だが、チケットにしたがゆえに、民間にも流通させることが出来るようになり、更には、実物から乖離することが出来るようになった。遂には、実物とは、永久に邂逅しないチケットが浮遊して経済をスタックさせたり、バブル化したり、クランチさせたり暴れまわり始めた。しかるに、民間に流出したマネーこそが、イノベーションの原動力となり、実物を探り当て、創り出し、供給を生み出しても来たことは決して過小評価すべきではない。オイルショックは、絶対的供給制約ではなかったし、マルサス的食糧制約も絶対的ではなかった。明らかに政府が努力したわけではなく、マネーを撒かれた民間の功績だ。実物に邂逅しないチケットとは、償還もされず溜め込まれた日銀購入国債や財政支出に結びつかない借り換えし続けられる山積みの国債の方だ。
だからといって国債を発行した政府を責めるのは酷というもの。政府が責めを負うべきは腐敗と政治無能だろう。
だからといって国債を発行した政府を責めるのは酷というもの。政府が責めを負うべきは腐敗と政治無能だろう。
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