■元寇・サヨクの妄言、よくある言い訳とその回答
Excuse:海を越えての侵攻は難しいから元軍は負けて当然
Answer:日本→大陸では勝ち戦がありますが何か?
確かに渡航という行為は難しいのですが、その中で相対的に見れば対馬海峡はとりたてて難しいわけではありません。
日本から大陸への侵攻では過去何度も成功例※がありますし、
負けた言い訳とするにはちょっと苦しいのではないでしょうか?
そもそもこちらが頼んで来てもらったわけではありませんよね?
攻めてくるからには勝算があってのことでしょう。
その目算が外れたということは…まあ言わずもがなですよね。
ちなみにそんな程度の元軍でも各国に勝利してきています。
鎌倉武士は優秀だったということになりますね。
むしろ海がそんなに侵攻の障害になるならそんな障害をものともせず大陸や半島を震え上がらせる日本の兵站能力がますます強調されるだけですね
※すべての準備が整った西暦202年10月、
この勇猛な女王は肥前の海岸から出航し、無事に新羅の海岸に上陸した。
新羅王はこの東国から来た精強な軍隊と巨大な船団を見て大いに驚愕した。
恐れおののいた新羅王は、直ちに服従の意を示した。
彼は自分の手を縛って女王に拝謁し、自分は日本の奴隷であると宣言した。
神功皇后は自分の矛を王宮の門に立て、新羅王の服従のしるしとした。
彼女は門に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書いたとさえ言われている。
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』
※百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳>そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、
百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
【広開土王碑】
※自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息
<訳>我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
『明史』
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